~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
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今ここの選択が開く可能性の扉は あくまでも未知の扉

結果や到達地点を見据えて
何かを選択したつもりでも

どんなにそれがその時点では
「正しい答え」や
「正しい目標」のように見えても

そこに到達するかどうか

到達したとして
そこが終着点かどうかは
未知だと心得て
進むがいい



私達は
自分が思うより
はるかに大きな存在であり

自分が思うより
はるかに
この世の万物、森羅万象と
影響し合い
繋がって 生きている


そして今の自分が思うより
はるかに
大きな目的を生きている


私達が今した選択が
はるか遠くで
いくつもの扉を開いていることは
今の私達からは見えない


距離が遠いからではなく

「今の自分」の目には
見えないから


この瞬間の選択は
それがどんなに小さく「見える」ものであっても

どんなに「大きく見える」ものであっても

今の自分には認識できない
数々の可能性に向けて
一歩進む瞬間だ


ここから遥か先を通っていく時
開いている新たな扉がどんな扉なのか
あらかじめ知っておかなくては、と
今ここで
ゆっくりと足踏みをし続けたとしても

もしくは、ずっと他を見ないようにして
前から決めて来た道だけを
進もうとしても


私達の未知の可能性を止めることはできない


はるか以前に
開いた扉だとは気づかずに

以前の自分なら
きっと選ばなかったであろう扉の先に

いつのまにか
喜びと共に
至極自然に
進んで行くことになる


目標を定めることもいいけれど
どんなに定めても

自分の可能性は
それ以上に豊かであって

今の自分には
想像もできない扉があることだけ
覚えておこう


どの選択が
実際何に繋がって行くのか

今の自分達には
遥か先が
「見えていない」ことを
覚えておこう


そして今日も
次の一歩を
味わいながら

ただ
今この瞬間の自分が選ぶ
歩みを進めるだけなのだ


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ありえない選択

時に、間違いではないか、間違った選択なのではないか、

という思いを巡らすこともあるでしょう。


多くの人が、「間違った」選択を恐れるあまり、

選択することをやめてしまいます。


そんなことはありえない。


選択を間違えることなどできないのです。


---トバイアス ( クリムゾンサークル・カレンダーメッセージより )

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賢者のいる場所

週末不在になるので、80歳を超えて今なお、
元気に1人で自活している、
階下の義母に挨拶に行ったら、
世間話からふと、

「今年は、なんだか今までと違うわねぇ」

「天気も昔と違うし、台風の動きも昔と違うし、
もう世界が変わっちゃった感じね。
9月に入ったら特にそれを感じるわぁ。
これからの世の中ってどうなっていくのかしらね~
楽しいような怖いような。オホホホホ」


賢者は、山の中にだけいるのではない。
いつでもどこでも私達のすぐ近くで、普通に、
ただ、この世を生きている。

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明日は、大阪で、初AFPワークショップです!
楽しみ~🎵

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初回セッションのご感想頂きました

初回のお客様向けの長時間の「ハイヤーセルフ対話」セッション、
【トータル・エンブレイス】を受けて下さった方からの
ご感想をご紹介します。
 
**************************************

本当に素晴らしい体験だったの一言です。

自分が心から望んでいたことにはっと気付かされましたし、
それを手に入れるために役立つ手段も複数教えて頂き、
自分の行くべき道が照らし出されたような気がします。

40歳という年齢になり、若さへの執着などで悩んでいたのですが、
映蓮さんの、海のように大地のように、
全てを包み込む豊かさ温かさを持った「本当の女性」にお会いして、
そんな悩みはどこかへ吹っ飛びました。

そして私も映蓮さんのようになりたいと思いました。

そんなことをセッション後に思った時、また理性のほうから

「そうはいっても色々乗り越えないと。
そんな素敵な女性になるにはまだまだ道のりは長いよ。」

なんて声が聞こえてきたのですが、それに対して、

「そんなことはないよ。大変なことじゃないよ。
 元に戻るだけなんだから。」

なんてメッセージが聞こえてきました。

これがハイヤーセルフの声なのでしょうか。

こんな風に、セッション後は色々な場面で、自分にとって
大切なメッセージに気付くことが多くなりました。
いやな体験でもハイヤーセルフからのメッセージによって
たくさんの学びが得られるようになり、
とても生きやすくなりました。

悩んでいた恋のことも、こんな気持ちを味わえることを祝福し、
こんな気持ちを味合わせてくれた彼に対して
感謝の気持ちで一杯になりました。

そう思うと、彼を所有したいなんて気持ちも消え、
肩から力が抜けて、より愛情豊かでより魅力的な女性に
なりつつあるわね~、と自画自賛しております(笑)。

本当に人生を変える素晴らしいセッションでした。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします☆


**************************

ありがとうございました☆

私が変化を起こしているのではなく、
もう起こりつつあるもの、もうすでに足を踏み出そうと
していること、あるいは、魂からすれば当然のこと、に
向かおうとする過程で、私が少しだけお手伝いを
させて頂く機会を頂いているのだと思っています。

こんな光栄なお仕事はありません。

感謝と敬意と共に

アムリタ映蓮


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魂がリーダー

先週末土曜日から月曜日まで、
クリムゾンサークルのチャネリングワークショップの
通訳をさせて頂いていました。

それはそれは素晴らしい体験でした。

ワークショップの内容そのものは勿論ですが、
何よりも、ジェフとリンダの人柄の温かさと気遣いに
感動していました。

通訳の私に対しては勿論ですが、
スタッフの一人一人にかける言葉が、上っ面でも
社交辞令でもなく、本当に、心から、authenticな言葉と
気持ちがいつも表現されていて、何の仕事であっても、
人柄というもの、それも、自分を尊重した上での
他人の尊重ができる人が、たくさんの新しい波を
起こしていくのだなと実感しました。

ジェフ、リンダ、日米のスタッフ、関係者の皆様に
深く感謝いたします。


そして、そこでも強調されていたことは
私自身も日頃から受け取っていることや、
他の色々な人々が、さまざまなアプローチで、
さまざまな言葉で言っていることと、マッチしています。

これからは、自分自身が自分のリーダーであり、
自分自身と繋がること、それも、フルに繋がること。
自分の内なる声に耳を傾けること、対話すること。
それはすなわち、自分の本質を生きること、
それも、生き生き生きる、ということなのです。

自分の本質と繋がって生きるとは、
魂と繋がるということでもあり、
魂と繋がるということは、魂が導き役になること。
そうなると、何が起きるかというと、
何かを「する」のではなく、
「どう在る」か、が自分を表す要素となり、
その、在り方を私達は、毎瞬、毎瞬、自分として
表現しているのです。

もう、なになにヒーリングとか、なになにメソッドとか
なになにセラピーとか、「なになに」が大事なのではなく
「なになに」が効果とか効力を持っているのではなく
すべて、自分自身の内側にあるものを、
自分の本質を、知り、認め、表現を許可し、
ただ、それを表現していくことだけが、魂が成し遂げに
来たのだ、ということなのです。

そして、どちらにしても、望む望まないに関わらず、
ここに存在しているということは、毎瞬毎瞬、
もう表現しちゃってるということです。

そして、それが望んだ結果かどうか、じゃなくて、
もうごまかしようがない時代、というか、
インチキをしてもばれるし、自分を欺いていれば苦しくなるし、
ネットでも本名や写真付きで自分を表現し合う世界。
自分が誰であるか、からは逃げも隠れもできない時代。

そこにあって、自分の内面や本質と、表現しているものが
整合、統合されているか、が自身で取り組むことであり
それは、自然な流れであり、喜びのはずなのです。

魂の公民権運動、という副題のついた、
ヒューマニティチームという活動を、昔、やっていました。
その頃にはピンと来なかったその言葉の意味が、
今、少しずつ、より現実味を帯びてきた気がします。

Listen to your Inner child...Inner voice...
Inner guidance...
Listen to your soul's voice calling you...

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進化ちゅう なう

本当のところ

とどのつまりは

自分のことは 自分にしか 救えない。


…というところに たどりつく人は

多いと思うけど


あ~ら不思議。

その意識で 世界と関わり始めると、

今度は すべての人が

自分を 「救う」/助け、気づかせ、思い出させるために 

自分の 人生に 登場してくれているのが

見えてくる。


同時に、すべての人が

その人自身を 「救って」いるのも

見えてくる。


すごい 仕組み。

すごい からくり。

どう考えても 人間技ではない からくり。


からくり ミラクル。

ミラクル クルクル~~

すごすぎて クルクルパーに なっちゃう!笑


だって この意識は

普段の、今までの視点で見ていては 感じられない。


ヴェールが はがれるように

そんなことに 誰もが 自然に気づく

世の中に なりつつ あるね。


私達 進化ちゅう なう。


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揺さぶり合いっこ

「揺さぶられる」という表現は
ネガティブな意味で使われることが多い。

揺さぶられやすい=影響されやすい=依存体質

とか。

揺さぶられないようになった、と
ポジティブな意味で使ったり。

軸が出来た=揺さぶられない=進歩/進化した

みたいに。


うちのインナーチャイルドセラピーでは、
「共依存」という概念について、
相当長い時間をかけて理解/体験/体感していくように
なっているけれど、
その「共依存」は、一般的に言う「あの共依存」ではない。

揺さぶられ度合いや揺さぶられ方、
「外」からの影響のされ方、
「外」への影響力の行使願望の【自覚】のために、
その言葉を使って見ていくのであって、
そのこと自体がネガティブな意味ではない、と
強調している。


人が生きている限り、
この世界には、他にも人がいるわけで、

まったく影響されなくなる=まったく「揺さぶられ」なく
なることがめざすことなどとは、みじんも思わない。

揺さぶる、揺さぶられる、については、
必死になって、揺れないように、
揺さぶられないようになることが目的なのではなく、
一生懸命に、「ぶれない軸」=揺れない大木、
みたいになることを目指しているのでもなく。

軸があると、
むしろ、喜んで、揺れることができる。

揺れることが怖くても、揺れていること自体は
受け入れている状態。

それが人によって、でも物によって、でも
状況によって、でも。

揺さぶることや、揺さぶられることが
自然で、当然で、楽しめること。

揺れを楽しめる状態、というのは、
どっちかの方向に行きっぱなしでなく、
行きつ戻りつするのを知っているということ。

揺れに意識は行っているけれど、
存在全体が行ってしまってるのではない。


それが、子供が遊んでいる時に近い状態だよね。

高い高いをされていても、ケラケラ笑っている。

ブランコが大きく揺れても、楽しんでいる。

最初はびっくりしたり、怖がったりしても、
委ねているうちに、戻ってくるのがわかったから。

戻ってくることを知っているから。
放られっぱなしじゃないという信頼があるから。

そして戻ってきたら、また行くことが繰り返されるから
その繰り返しがおかしくて、笑っている。
遊んでいる。


そして、二つの「何か」が、触れたり振れたりする時。

触れ合ったり、振れ合ったり、揺れ合ったり。
揺さぶり合ったり。

一方通行では起こりえない、
その「揺れ具合」を、
共振、共鳴、と言うのだ。

何かに影響を一方的に受けるのではなく、
何かが心に触れたり、感動したり、共感したり
したのなら…

共に揺れあっている、共に響き合っている。

それに気づき、認め、観察しながら味わう。

揺れる、って素敵なのだ。

官能的な意味でも、ね~~(^_-)☆

どっちかだけが揺らしているんじゃなく
お互いに揺さぶりっこ。

揺れるのを怖がっていても楽しめないし、
戻ってくる地点がなければ、それもまた
逆に楽しめないし。

揺れに翻弄されまくることと、
行きつ戻りつ、広がりつつ縮まりつつの
ダンスのような動きとの違い。

それはやはり、委ねつつも自分の芯がある、
そこに「意識」が
行きわたっているかどうかだろう。

それが、「軸」があるもの同士の共振だ。

そこが、強いていえば、依存と共存の違いだから、
インチャイセラピーでいう、
【共依存から共存へ】ということになる。

自分の芯/真を中心にして、互いに揺れ合うこと、
共振することは、共存することなんだ。


地球の「揺れ」についても、
そこまで言ってしまえる準備が出来ているとは
心理的に思わないけれど
それに近い「感覚」を持っている人達は増えている。

それも含めて、
この地上で起きていることだけでなく、
宇宙からのエネルギーも含めて、
存在している、ということは、振動しているということ。

振動が「個の表現」であり、
「命」は、常に、振動し合い、
お互いの「命」と共振、共鳴している。


これもまた、太古の昔から当然だったことに、
今、意識が広がりつつあるだけのこと。

だけど、このようなプロセスを経た意識が
意識する意識は、
古くて 新しいはず。

同じ振動でも、共振でも、
その時々の振れ方/触れ方があり、
きっと、二度と同じものはないはず。


だから やっぱり これに尽きる。

慈しもう。今を。


1

GIVE=「与える」だけじゃない

人は ただ 存在しているだけでいい

人は 誰でも ただ そのまま あるがままでいれば いい


私のサイトの名前は、

天空の抱擁
 ~人は誰でも 心のあるがままの姿で 天に抱擁されている




これの深い意味は 身をもって体験しているし

たくさんの人が 同じことを 違う言葉で 繰り返し

多くの人に 届くようにと 伝えているし

伝える、伝えられる場が たくさんある 今日この頃。



そんな中でも

そんな私でも


時折 ふと やってくる。


皆に おなじみの あの 切ない、ハテナマークたち。


〇〇かなぁ・・・・?


どちらかといえば、好奇心の、wonderの気持ちではなくて

悲しみや 落ち込みにも 似た もやもやや どんより空。


「私、このままでいいのかなぁ…?」

「私、いったいどこに向かってるんだろう…?」

「私、いい歳して こんなことしてて大丈夫なのかなぁ…?」


他の皆は 何をしていても完璧ですごいよ。

他の皆は そのまんまで輝いているよ!

皆、みんな、すごいよ!!


宇宙でたった一人、私以外は……… 

みたいな!!笑


そんな時に、「存在してるだけで人には価値がある」

などという、「知識」や「経験から来る感覚」を

思い出そうとしてみたりするけれど


なかなか 瞬時に、「うん、そうだった!」とは 

ならないものです(笑)


そんな時は、とにかくまずは、その「ぼやきちゃん」やら

「嘆きちゃん」やら、「ネガティブさん」←これはなぜか「さん」w

などの言い分を聞き…つまり、感じるだけ感じ…


で、こういうのを「感じ切る」というのは、

つまり、どっぷり浸かって、どん底まで感じ続けよう、

みたいなのは、これまでもう嫌というほどやっているので、

今がその時だ、と思わない限りは、

そこには長くいませんよ~という決意をする。


そして、意識的に思い出すのは、立派な格言でもないし、

誰かの励ましの言葉でもない。


歓びの感覚。


ただ それだけ。


他の人達は 違うものがあるかもしれないよ。


私の場合は、ね。。



私の場合は、自分が喜びを表現するのも、

人が 歓びを表現するのも、

それが、悦び だと、 長い年月かかってたどりついたから。


「仕事」じゃない。

「使命」じゃない。

「義務」なんかじゃ勿論、ない。

「良いことや善いこと」だからじゃ ない。

「どうだー!すごいだろー!」だからじゃない。


「外」が 「動機」じゃないんだ。

「外」が「目的」じゃないんだ。


でも、「外」は 大切なんだ。

「内」があるのだから。


私は まだ、今ここ にいる。

ここは もうすぐ 二元性や 二者択一の世界から変貌を

遂げて、飛躍していくだろうけれど、


その直前にあって

今ここで 抱きしめるのは

長い長い 人間の 歴史において

がんじがらめの苦悩を味わいながら

自らを そこに 落とし込み しばりつけ

永遠にそこで 苦しまなくてはいけないのかと

思ってきた 二元性。 

どちらにすればいいのか、の葛藤。


今、集合的な、そこからの飛翔直前にあって

最後に しておくことは 何よりも

それを 抱きしめること。

苦しんでいる、そのことすら 抱きしめる、

それよりも 大きな意識として。


それは すなわち どっちでもいいってこと。

どっちも ありってこと。

どっちも 同じものの裏表。

どっち、とかあっちとか、こっちとか、

どれも それも 一つの器の 中に 共存してるだけ。


だから…

〇〇かなぁ・・・?のあとは


内側の歓びを表すことが悦びの自分の方と 繋がる。


それが 私の 自然な 姿だから。


何度も言うけど 他の人は 違うと思うよ。

同じ「いのちの喜び」の表現であっても

色々な ものが あると思う。


でも

私の場合は 単純。


私のギフトは どんな状況でも どんな状態でも

ほんとーーーーに

アホみたいに

ちっちゃなことを めちゃくちゃ喜べる。 

すぐにそこにスイッチが入れられる。



人はあるがままで 存在しているだけで…が、ピンと

来ない時、 このスイッチを 思い出す。



喜びを 感じることが出来る自分。

喜びを 見つけることが出来る自分。

喜びを いとわず 表現することが できる自分。

喜びを 表現する自分が 好きな自分。


一番最初の記憶に近い、3歳頃の鮮明な記憶に、

朝、起きる時、ワクワクして、

なぜかめちゃくちゃ 嬉しくて

全身に エネルギーを たぎらせて ほとばしらせて

布団から がばっと 起き上がり


「おはよーーーー!!!!!!!」

と、大声で叫んで 両親を 驚かせた。


喜びを 感じていたことを 表現したくて。

そして その表現を 見て 驚く両親が 面白くて。

(このへんは、喜びの子というより、

エンタテイナーの子ですね・笑)


その瞬間のことだけは 忘れないでおこうと

きっと 今生の私が 決めていた。


ずっと ずっと 覚えている。


その朝の後は たくさんの悲しみや苦しみが

待っていたけれど。


あの朝の 3歳児の 私 にかえる。


何にも できなくなっても

何も していなくても


それに 還れたら


きっと 私は 「いてもいい」。「いる価値がある。」が、

実感できる。


他の人にとって じゃなくて


「存在」の 一側面、1ピースの 表現として。



もしも このすべてが 思い込みで 幻想だったとしても

「表現」という行為は

呼吸で いえば、 吐く息。


息を 吸って

息を 吐く。


その、「吐く息」が なければ ここにいる意味が ない。


吐いた息は 必要なところに 飛んでいく。

少なくとも 植物のところには。


だけど どこに 飛んでいくか は 重要じゃない。


生きるためには 息を 吐く。


何年も前 義父の最期を 看取らせて頂いた時

最期の 息は 「吸う息」だった。

「おとうさん、吐いて!息を吐いて!」と、

人間の私は 叫んでいた。

でも 義父の魂の選択は 義父の肉体の選択は

もう 「ここ」では 息を吐かないことだった。

そうして サイクルを 完了させて 旅立って行った。



何を したらいいのか わからなくなっても

何を 探しているのか わからなくなっても


そしてもしも 何が 喜びか 

それすらも見つからなくなったら・・・


まずは 息を 吸って 吐こう。

とりあえず 息を 出そう。


それから 思い出そう。


息を 出す、吐く、という行為。


それそのものが 表現するということ。

それそのものが ここにいる、という意思表明。


万一自分の心が そうしたくない、などと

叫んでいても この精巧な肉体を動かす鍵、

呼吸は、ちゃんと 行なわれている。

身体は、ちゃんと 出すものを 出している。



出す、というのを 英語で言う時

GIVE を使うことは あまり日本人に知られてない。


表現する、というのも GIVE を使う。


I wanna live.
  と
I wanna give.


は、イコール。



GIVE は、「与える」という意味だけじゃない。

「使命」とかなんとかのことじゃない。

誰かに「与える」ために 生きているのじゃない。


ただ 喜びの声を 発する。

ただ 息を する。 

大きく息を 吸って/頂いて、受け取ってから

ただ ただ

息を 大切な一息を 吐く。


「ここ」にいる限り やることは それだけでもいい。


そうして ただ ただ シンプルに

息を吸って/受け取って 吐くことが、ミラクル。


その息が 知らないところに 必要なところに

命として 飛んでいくことが ミラクル。

 

ただ 息を している、ただ 在ることが

「GIVE」。



逆に言えば、それが 

「与える」ということの 真の意味かもしれない。


生きているだけで ただそれだけで

「GIVEして=与えて」いる、表現している、発信している、

とも 言えるのだ。



ほら……


戻って きた。


ここに。


ここに いていい 喜びに。

生きている 悦びに。


「あるがまま」の 歓びに。


いのちの ヨロコビ に。


******************************
アぁ~長かったねぇ~爆

書きだしたら 止まらなくてどうしちゃったのかと思った!笑

もうこのまま アップしちゃいます。

こんな長いの読んで下さって ありがとう。


2

Music と Magic

似ている…

Music と Magic 

Music は Magic だよね…ほんとに。


いや、それを書こうとしたのではなくて、
セッションで起きた、音楽にまつわる不思議なことを
書こうとして、何気なくタイトルを書き始めたら
これが「降りて」来たの。


何度も書いちゃう。

Music は Magic なんだ。



前から何度か書いてるけれど、
うちのセッションルームでセッション中に起きる、
あ、いや、セッションルームとは限らないよね、
私がいるところで起きる、とは言いたくないけど、
最近、そういうことあまりにも多いので、
何か通しているのだろうけど、
とにかく、その「不思議な現象」の数々。

その中で、あの出窓の外で起きる数々の現象については
何度も書いて来たけど、それと同じくらい起きるのが、
音楽にまつわる、不思議現象。

それは、セッションルームに限らない。
エクスタシーダンスでも、スピリチュアル系のWSでも。

で、今回は、セッションルーム。


今日は、セッションの内容はちょっと置いておこう。

起きたことだけを淡々と。


セッション前に、なんとなく今日のモードの音楽を選び、
クライアントさんが来る前から、部屋に流しておく。

大抵は、いわゆるヒーリングミュージック。

かかっていることすら気にならない、
アクのない、あまり個性的でない環境音楽。

その日は、ガイアシンフォニーだったかな…

そして、アルバム名を確認し、
歴代のCDプレーヤーはすべてセッションルームでは
壊れてしまうので、ipodを使っているのだが、
それを、アルバムのリピートモードにする。

この日は、その前の日に外にipodを持って行ってたので、
注意深く確認して、アルバムリピートにした。


そしてセッションが始まり…
(ちょっといつもとは違うスタートだったのだけどね。
内容には触れないけれど、この後起きたことには
結局、このスタートの仕方が関係していたのだけど)

残り10分くらい、というタイミングで一区切り、という
感じになったので、

「カードでも引いていきますか?他に何かしたいことは
ありますか?」

とお聞きして、なんとなく今日は
カードではないだろうな、って感じていたら、
お客様の方が先に気づいた。

「あれ?音楽が止まってる。」


あ。

いつからだろう?音楽がそういえば鳴っていなかった。

勿論、それはそれでいいんだけど、
確かにリピートにしたはずなのに…


そして、確認しに行ってみると、

「リピート」になってない。

しかも「シャッフル」になってる。


そして…

ここで、私の記憶がなぜか、この後の数十秒?だけ
飛んでいる。

そして、何をしたのか、覚えてないのだ。

その時、音楽が止まっていたのか、
ボリュームがゼロになっていたのか、
それも覚えていないのだけど、
次に、記憶があるのは、恐らくそのわずか後、
ipodから 最近まったく聴いていなかった音楽が
流れてきたこと。

その曲のタイトルを見て、
セッション内容と、特にセッション冒頭のやりとりと
あまりにも意味深くリンクするので
大声を出して、固まってしまった。

お客様も、起きたことに不思議そう。
今日のセッション(のギフト)は、カードではなくて、
これだったんだ、という面持ちで、
曲のタイトルを控えてお帰りになった。
勿論、セッションの流れからいって、
また、音楽が止まっていることに気づいた、
(気づくことになっていた)お客様自身へのギフトである
ことは間違いない。

ただ、それ以上に、なぜか、この曲名と歌詞が、今、
とても大事な気がする。

私自身にとっても。
恐らく、ここのブログを見てくれている人達の中にも
これが響く人がいるのだろう。

この感じが持続していたら、もしかしたら
次回のスピリチュアル英会話で触れるかも。

この歌の内容全体は、男女の恋愛に
かなり限定されてるけど、そうだとしても、また、
恋愛を超えた、人間の性(さが)、というような意味でも、
スピリチュアルな意味でも、いくつかとても印象深い
部分がある歌詞なのだ。

Gloria Estefanという人の歌。

日本語の映画タイトル忘れちゃったけど、
アンジェリーナ・ジョリーとアントニオ・バンデラスの
超豪華なコンビによる、ものすごくドロドロした
Original Sinという、ちょっと怖い恋愛映画の主題歌だ。

その映画終了後タイトルバックでこの曲が
流れるのだけど、多くの人が、映画の内容よりも、
この曲の歌詞に感動する、という印象だった。


< You Can't Walk Away From Love >
(タイトルだけ直訳:愛から立ち去ることは出来ない。)

Here I am before you
Naked in your eyes
Hoping with each kiss
You will never see through my disguise
I have been made to believe
That no one could love me for me
The good and the bad
First to the last
No matter the cost
No matter the past

Your eyes only see what they wanna see
Your heart makes the truth what you want to believe
Passion turns pain into ecstacy
You can`t walk away from love

Loving you more than I do myself
Revealing the things I would never tell
Daring to risk even life itself
You can`t walk away from love


There will be no other
Lips against my skin
No need to regret
How can pleasure ever be a sin
I tried to make you believe
You meant almost nothing to me
Through all the lies
Chasing a dream
Finding at last
The woman in me

Your eyes only see what they wanna see
Your heart makes the truth what you want to believe
Passion turns pain into ecstacy
You can`t walk away from love

Loving you more than I do myself
Revealing the things I would never tell
Daring to risk even life itself
You can`t walk away from love


注目したいのは、この太字にした部分。

Your eyes only see what they wanna see
Your heart makes the truth what you want to believe
Passion turns pain into ecstacy
You can`t walk away from love


「目は、見たいものだけを見る。
ハートは、信じたいことだけを真実とする。
情熱は、痛みをエクスタシーへと変える。
(私達は)愛から立ち去ることはできない。」


深いな~
さあ、味わおう~~!





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「望むことをしていないなら」(バシャール)


「もし 自分が望むことを していないのでしたら、

自分が あんまり望んでいないことのほうに

100パーセント信頼を 置いているんだなと​

いうことを知ってください。 」


(From Facebook, → バシャール/BASHAR 


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