~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
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今、改めて自分を生き抜く決意をする。

7年前の今日の朝。 東日本大震災の4時間ほど前だった。
 
今だから言えるけど、私は、突然、なんとも言えない初めての至福感に包まれていた。

このとてつもなく暖かくて優しいエネルギーは、母性と呼ばずしてなんだろう、と
突然、どこからともなくやってきたエネルギーに抱きしめられながら、

初めて、「聖母マリア」のエネルギーだろうか…と溢れる涙に驚きながら
ただそれを味わっていた。

それは「すべて大丈夫」というような安心させるような感覚と
「愛していますよ」というような感覚だった。
 
そのエネルギーはとても大きくて、私「だけ」に向けられたものとは思えなかった。
 
その頃のSNSと言えば、MIXIだったので、このことを書きかけたけれど、
なんだか書けなかった(ように記憶している)。
 
 
その代わりに、準備を進めていた、女性達だけで好きな衣装を着て、
自由に踊り、気持ち良さを探求するダンスワーク、エクスタシーダンスを毎月続けていくというダンス・マラソンのことに思いを馳せ、ふと、「女神のこころ」という本を手にとって、
以下のような記事を書いていた。


2011年3月11日 震災の数時間前。女性性の時代到来について。

「世界中の人々が、女神あるいは聖なる女性(宇宙は素晴らしいものであると告げ、
私達を励ます存在)をあらためて思いだし、考えるようになっています。

女神がよみがえったのは、いのちは互いに繋がっていて、神聖だ、と主張する
ムーブメントの盛り上がりと同時期です。

平和、環境、女性、人権、同性愛者の権利のために活動する人々や、
地球を聖なるものとみなす運動に参加する人々は、ガイア、祖母なるクモ、
多羅仏母、オシュン、カーリー、観音が持つイメージ、伝承、メッセージについて
深く考え、それによって導かれたり、インスピレーションを受けたりしています。」

「私は、『女神』または『聖なる女性』という言葉に、
きわめて単純であると同時に複雑な意味を込めています。

究極的に、私は女神をいわゆる『女性』ではなく、『存在のあらゆるスペクトルが
融合したもの』と見なしています。

実のところ、『女性』という概念は、何もかもを細かく分類する文化、
特に、『光/闇』、『女性/男性』、『心/身体』、『大地/精霊』などというような
よくある二元性に還元する文化の産物なのです。

いのちの本質は、そのように分断されるものではなく、人間もその例外ではない、と
私は信じています。

これらの要素をすべて統合する立場で行動し、生きることを、私は、
『スピリチュアリティ』と呼びます。

そして女神は、あらゆる人が生まれながらの権利として、
また可能性として秘めている、統合と全体性を象徴するのです。

私達全員が、そしてあらゆる存在が、『神』なのです。

いままで否定されてきたものを取り戻し、この全体性を完成させるために、
私はその『神』を、女神、と呼びます。」


「現時点で、女神は私達にとって、どんな意味があるのでしょう。

彼女は、愛と力を兼ね備えており、愛を力強くし愛する力を増してくれます。
彼女は、誠実で、慈悲深い存在です。

また、いのちの歓び、特に私達が地上と彼女のサイクルを通して体験する、
この世の楽しみと愛でもあります。

私達が住んでいるのは、美しく物質的な世界です。
ここでいのちをつなぎ楽しむという、生まれながらの権利を享受するために、
私たちは いのちとそのサイクルを祝福する女神たちと神話を
取り戻さなくてはなりません。」
 
 


2011年3月17日 震災の影響でキャンセルしたイベントのために押さえていた会場を
女性性の時代到来を祝い、早めるためのイベントを開催した。 

「私達の内なる男性性に、私達の真の姿、真の力を
外に押し出して表現する手伝いをしてもらいませんか?

・・・・女性の皆さん、もう少ししたら立ち上がって、

一緒に…  何かしませんか?

内なる男性性に支えられつつ、女性性の優しい時代の到来を早めませんか?

踊ったり、歌ったり、笑顔を送ったり…抱きしめたり…

そんな集まりを、もう少ししたら、可能な限り

最善のタイミングで、皆でやりませんか?


世界中の女性と共に、立ち上がって、手を繋いで
輪/和になって、歌っている、踊っている…

というビジョンがやってきています。



その後も、私のブログでは、それ以前にはあまりなかった、
女性性の時代について、自己表現の時代についての記述が増えて行ってる。

今でも、自分に力をもたらす一言も多い。
 
 
「自分の中の、何があっても死なない何かを生きていく」

 
これからも、現実に起きていることの情報に耳と目をふさがず、
内なる声とビジョンにも、耳と目をふさがず、
天とも地とも繋がりを保ちながら、
右に左に揺れることをいとわず、
しなやかに、軽やかに、踊り続け、
心を、身体を、己を、世界を、動かし続けたいと思います。」
 
 
からの、翌年にはAFP・アート・オブ・フェミニン・プレゼンスのティーチャートレーニングへの参加。
 
 
結構、「地味目」(?)だけど、私にもちゃんと、着実に流れが起きていたんだな…
 
 
「生きる」ということに関しての大きな節目だったのだと思う。それをあまりにも多くの人が「この世的」には、「犠牲」になることで、思い知らせてくれたのだと思うけれど、本当のところ、「犠牲」となった人々は、身を以て教えてくれたのだと思う。

そして今も、教え続けてくれているのだと思う。


合掌


 
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【1人】が大事

1人でもいい。
 

1人でいい。
 

1人もいい。

 
1人がいい。
 

 
上の全部、いいじゃないの。

その【1人】が大事なんだよ。

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Facebookに投稿したものです。

この言葉のままで載せたかったので、あえて説明はなく、「1人」の解釈は色々でいいのだと思うのですが、私が「受け取った」イメージは、この「1人」は自分1人、という意味でもいいし、いわゆる「お客様」が1人、という意味でも同じなようです。

そして一番いいたいことは、なんであれ、「1人」の重さ、大事さ。

自分1人なのであれば、なおさら、他の人ではない自分自身と一緒にいることこそが大事だというような…

ああ。

結局、「説明」してしまった…(苦笑

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世界の日常が国境を越えている

アメリカから特定の国々に対しての入国禁止令が突如出された日の前日。


久しぶりに世界の人たちと気軽に、ライブ配信を通して
互いの日常を分かち合えるペリスコープで
長いこと「遊んで」いた。

ペリスコープでは英語でライブ配信しているのだけど、その日は私は気ままに
If we hold on togetherをピアノ弾き語りで歌っていて、その間
今回の対象国にもなっているイランの人がチャットでずっとコメントしていてくれた。
彼のリクエスト曲がうまく歌詞が思い出せず、
チャットで書いてもらいながら歌う場面もあって、とても暖かかった。


その後、今度は、イスラエルの女性が病室から、「手術まであと数時間」と、
脊椎の手術を控えて、明るい気分になれるような曲を歌いたいと
寝ながら大声で歌っている様子を配信していた。
私も含め、世界中の仲間がエールを送り、手術の成功を祈り
一緒に歌った。


中国のおなじみの若い男性は、もう100日以上ぶっ通しで
自分のダイエットの過程を配信していて、その日は
「お正月で食べ過ぎて太ってしまった!」と叫びながら
筋トレする様子を黙々と流していた。

ドイツの男性は、毎日自分のピアノの練習時間を配信しており、
その日もなんども間違えながらも、大好きな紅茶を時折飲みながら
いろいろな曲を練習していた。

アメリカ・フロリダ州の男性は、ワニのいる川や
美しい夕日の様子を配信。

イギリスの画家は、その場で絵を描く様子を配信。

アメリカ・西海岸の女性は、自分の家の台所を360度見渡せるカメラを使って
夕食の準備をする様子を配信。


ちょうど、ゆっくりいろんな国のいろんな人たちの「日常」を見ていたところに
「入国禁止令」のニュース。

以前の私なら、もっと感情的に反応したかもしれない。


でも、最初の驚き(予想はしていたとはいえ本当にやるんだ?というような)のあとは、なんだか、不思議な違和感と共に異質なものを見ている感じだった。


もうね、今日の世界はビジネスや「国際交流活動」で繋がっているだけじゃない。

人々は、すでに国境を越えて、
「特別な状況」や手段をも越えて、
ただのオーディナリーな日常を
分かち合って、繋がっている。

日常の意識や感覚が変わるということは
とてつもなく枠が広がるということ。

「快適ゾーン」の範囲が
少なくともバーチャルでは広がっているということ。

それはもう止められない。

物理的な壁や塀は意味を持たない


ただ。

「HOME」の重要性は、今までとは違う意味で、そして、あの国の大統領が言っているのとは違う意味でもっと増している気がしている。

広がれば広がるほど、自分の中心にいること、自分の意識のHOMEに帰ること、
どこにも行かなくてもよく、自分のスペースを自分自身のために愛で満たすこと。

誰も入って来れないように、恐怖や不安で「境界線」を引くのではなく
自分の意思で自分のエネルギーで満たしているスペースを
しっかりと持つことこそが、自分でいることの居心地良さや存在感を増すことなのだ。

これらは、アート・オブ・フェミニン・プレゼンスで何度も何度も
練習することだ。

何度も練習が必要なのは、
私たちは、それがどんなにいいと思っても、
慣れ親しんでいる方に戻ってしまうから。
居心地の悪い状態、不自然な状態、という居心地に慣れてしまっているから。

そういう意味では、あの大統領でなくても、
「自分を優先にしよう」「自分を大事にしよう」
「自分の心地よさ、自分のやりたいことや自分が豊かになるためのことを他の人のために動いてしまうことで忘れてしまわないようにしよう」などの思いは、状況は違えど、「アメリカ」「自分」という言葉を入れ替えれば、なぜこんな状態になっているのか、自分の中の声を聞いていると思えば、なるほどとは思えるところ。


ペリスコープのライブ配信の世界は、どんな日常や自分の無防備さを見せても、そこに画面を飛び越えて侵入してくる人はいない、という世界。
どんなに暖かい言葉や時に批判や非難のコメントがチャットで入ってきても、
それは物理的な自分の「スペース」には侵入してこない。
全部、自分のエネルギーで満たされた中での外への表現だ。

その中で人々が、どんどん自由に自分の何気ない日常を分かち合っている状態は、
言ってみれば、上記の意識の練習をしているのかもしれない。

もちろん、これは私個人の感性に基づく視点なので、いろいろな弊害もたくさんあるのは承知だけれど、少なくとも「今起きていること」は、そんな風に感じることを選択してみると、世界のどんな場所にいようとも、誰でいくつで何人で何の仕事をしていようとも、自分自身の足元、HOME、そして自分がくつろげる場所や日常を過ごす何気ない場所や時間の大切さや、日常的であることの非日常性を慈しむ意識の練習をすることで、一人一人が豊かに生きて行く過程であるように思えてきたら、なんだかそう悪くない。
 
 

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快適ゾーンから「出なくて」いい

コンフォート・ゾーン(快適ゾーン)
必ずしも
そこから「出る」のでなくてもいいんだよ。 


日々の小さなステップは、
コンフォート・ゾーンを【広げて】くれるから。

コンフォート・ゾーンを【ストレッチ】する、って
よく英語では表現するけれど、

(stretching the comfort zone)
ちょうど、本チャンの運動に臨む前の
準備運動のストレッチように


少しだけ


どこまで伸びるか
どこまで広がるか


もしくは
どこが伸びるのか
どこが
広がるのか


無理をせずに
少しずつ
やってみるの。


日々のほんの少しのストレッチは
やがて大きなジャンプの準備を整えてくれる。


最初から大きく飛ばなくてもいい。


ちょっとだけビビるような小さなこと
快適にできるようになったら、
快適ゾーンは広がっている。


自分の存在感は増している。


自分にとって居心地よくいられる場所が

前よりも広がっている。



それからだって大丈夫。

もちろん、最初から大きくぶっ飛んでもいいよね。


ただ、帰って来て着地する場所がよくわかるくらい大きくなってると

戻りやすいよね。


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自らの在り方以外、真に提供できるものなどない

もうずっと昔から書いているけれど、
今も同じ。


私は、「答えを与える人」になろうとするのではなく

「問いかけ続ける人」

自ら 探求し続ける人で在り続けたい。


何歳になろうとも。


自らの在り方以外に、真に提供できるものなどない。



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(第2回アムリタ”熟”〜プレゼンス熟成コースにて・撮影マハンタ)


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受け取るのは「情報」ではなく…

予言、預言、予知、予測、

 
もっと広げると、リーディング、占い、

もっと広げると、外からの情報何もかもすべて
 

それを受け取った時の

「反応」=「体験」

提供してくれている のです。
 

自分のしている「反応」=「体験」に

気づいてみると、そこにこそ…


 「ある」 のです。

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「女」についてのひとりごと

【ただ溢れちゃったつぶやき】と称して
Facebookにつぶやいたことを
例によってこちらにも載せておくー♪
(ひとりごとなので、これについての反応への
コメント返しなどは特にしません~~)

+++++++++++++++++++++++++++++

私、「女性性のワーク」とか色々やっていますが、

これが不思議と

「女」、あるいは「オンナ」について語るとなると、

色々、「私」の持論も出てくるわけです(笑)
  

  
女としての魅力・・・

暴論に聞こえてもあえて言うとすれば、

色んな意味のタブーを犯すことで

深まっていく側面があると思います
 
  
  
計算して進める恋活(あ、そんなのないか?)やら

婚活やらやっていて、

人生に女として幸せ溢れる瞬間が来るか・・


自分の女としてのお庭に 

待望の花を咲かせられるか・・


 
自分に許可していないことを

許可すること

 
 
男性から見て、

ベッドで女がもっともセクシーに見える瞬間のひとつは、

自分を失うまい、とか、タブーに触れそうになって

自分を保とうと踏ん張っているところから、

ふと、失ってしまえー、と力を抜く瞬間だと言います。
 

  
そしてなおかつ、

透明性だのオープンだのという風潮の世の中ですが、

これはAFPでも実はやることですが、

謎の女の部分を残しておくことを 許可すること。
 

  
人に対してというより自分に対しても、

謎であること、

答えを出さなくても面白がることを許可すること
 

 
魅力的な女には、

ちょっと、ミステリアスな部分があるのが常。
 

  
誰にも言えない秘密なんて、

持っていることで苦しむのは損。


誰でも、そういう秘密は持っているのだから。
 
 

それを、ひそかに持っていること自体を 

自分の魅力の栄養剤となるよう

楽しめるかしら。

 

してはいけない(とされてる)恋だって、

行為だって(うまいっ!)

どんと来い!もとい、どんと濃い!
 
 

〇〇べき、しなければ、してはいけない、etc.から

自由になれないのであれば、

まず、それを突き抜ける楽しみを

自分に許す女になって・・・
 
 

必ずしも、道徳的なことばかりじゃない。

(勿論、過激なそれも入ってるけど)
 
 
ちょっとしたおしゃれだったり、

メイクだったり、

言動だったりね。
 
 
 
人生、周りにふりまわされたり、

周りを 固めたり、


未来を固めようとして

未来や過去にふりまわされたり、

そんなことに、

大切な女のパワー=魅力 を使っていては

もったいないの。
 

 
不要なシワが増えちゃうの。

(素敵なシワは自然に増えるけどw)
 
 

そして、これは、女として、って言っているけれど、

子供心のことでもあるの。
 

 
いい女は、色んな意味で、

内なる子供の自分との共存を

愛している母親なの。
 
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私を 生きる 約束

知ろうとしなくても 入ってくる

悲惨な現実

冷酷な現実


目をそらさずに
 

打ちのめされそうになりながら

むやみやたらと 手を差し伸べそうになりながら

駆けつけることも できる状況においてすら


選択できることは


ただ

ただ

私を 生きること


私で 「いる」よりも 

もっと決意を ともなって


「生きる」。



私が 私を 生きる

他に コミットすることはない



私に できること したいこと すべきことの

交差する場所で


ただ

私は 私を生きる と 決める 


何度も



大切に 生きる

誠実に 生きる


私を



他の人から見て

大切にしてないように見えようが

無謀に 見えようが

無駄に 見えようが

ちゃらんぽらんに見えようが


そして 実際 それが 真実であっても


私が 私と 約束する


私が 私を 生きること



要・確認!


確認・済!



さあ! 


今日も

とっとと 生きるよ!

              (牡牛座・新月 誕生日の季節に)

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ねえ 愛してる


いま この瞬間

あなたが どんなに素敵か

見せてあげたい



あなたという人が

どんなに 完全で

どんなに 愛しくて

狂おしいまでに 愛すべき人か


私が 感じてる至福を

味あわせて あげたい



でも きっと

私に できることは

そんなに ない


ほとんど ない



私に できるのは


きっと 私も 

そんなあなたと 同じように

完璧なのだろう と

受け取ること


あなたから それを

受け取らせて もらうこと



そして

ただ 私でいる という

当たり前の 自然な 在り様を 

許す 許す 


許し続ける


ゆるみ続ける



そうしていると

ほら また 


「あなた」が 目の前に 現れる


そして また

「私ではないもの」 を 見つけた喜びに

震え、 驚嘆し ひたり 賞賛して


そして また


それは

「私でもある」 に 戻ってきて



ぐるぐる ぐるぐる


しあわせな 円環



少しずつ 広がり続ける 


永遠の 円/縁 は


いつだって 完璧 。



  ねえ  愛してる 。




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満ち溢れる2014年を!

まずは毎年書いていますが、年賀状という風習から逸脱して
もう10年以上。最近では、お返事も失礼させて頂いていますので
どうぞお許し下さい。


2013年、あと数時間になりました。
今年も1年間、たくさんの方に出逢い、
本当にそれ以上の方々にお世話になりました。
ありがとうございました。

毎年年末になると、色んな感謝の想いが溢れて
何を見ても涙もろくなることが多いのですが、
今年は特にいつも以上に多くの方の力を借りて
お互いをサポートし合いながら、
前だったらやりこなせなかったことを、
【楽々と】楽しみながらできたことが多かったなぁ。

でも今年は、ほんとに最後の最後まで浄化が続いており、
実は、23年間の結婚生活で初めて、2人とも高熱を出して
ダウンしております。これもベッドの中で書いています。
めったに熱を出さない私の高熱は、10年ぶりくらい。

それも、大掃除らしきことを始めたところで…
色々ひっくり返して床にぶちまけたところで…
まずは私が、2日間高熱にうなされ眠り続けて
今日、起きたところで、今度は夫が……
なので、家の中は、もう、前代未聞のすごいことに
なっております(笑) 

行くところまでいっちゃったね!な状態ですw


思えば、この「前代未聞」という言葉、仕事でも、
社会現象でも、個人的なことでも、よく使った年でした。
必ずしも「悪い」ことで、ではなく、です。

それだけびっくりするようなことが起きたし、
びっくりしながらもそれを受けとめたということですよね。


個人的「前代未聞」のもう一つは、
年末は用意周到な私が、買い物にも行っていなかったので、
何より食欲がまったくないし、作っても誰も食べられないので、
年越しそばも、おせちもお雑煮も食べられません(笑)

きっとそれがどこかで私達の望んでいたことなのでしょう~w

私達自身が気持ちよく迎えられるタイミングとやり方で、
新しい年を迎えることにしますね。

そんな新年もあるのだ、という初体験を楽しむことにします。


皆様も、どうぞ体調にはお気をつけて、
ますます豊かで満たされた新年を迎えられますよう、
羽をつけて、羽ばたいている姿で
お祈りしたいと思います(笑)

こんな私ですがw、2014年もどうぞよろしくお願い致します。

(年末の、「熟女ハフラ」にて)
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