~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
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揺さぶり合いっこ

「揺さぶられる」という表現は
ネガティブな意味で使われることが多い。

揺さぶられやすい=影響されやすい=依存体質

とか。

揺さぶられないようになった、と
ポジティブな意味で使ったり。

軸が出来た=揺さぶられない=進歩/進化した

みたいに。


うちのインナーチャイルドセラピーでは、
「共依存」という概念について、
相当長い時間をかけて理解/体験/体感していくように
なっているけれど、
その「共依存」は、一般的に言う「あの共依存」ではない。

揺さぶられ度合いや揺さぶられ方、
「外」からの影響のされ方、
「外」への影響力の行使願望の【自覚】のために、
その言葉を使って見ていくのであって、
そのこと自体がネガティブな意味ではない、と
強調している。


人が生きている限り、
この世界には、他にも人がいるわけで、

まったく影響されなくなる=まったく「揺さぶられ」なく
なることがめざすことなどとは、みじんも思わない。

揺さぶる、揺さぶられる、については、
必死になって、揺れないように、
揺さぶられないようになることが目的なのではなく、
一生懸命に、「ぶれない軸」=揺れない大木、
みたいになることを目指しているのでもなく。

軸があると、
むしろ、喜んで、揺れることができる。

揺れることが怖くても、揺れていること自体は
受け入れている状態。

それが人によって、でも物によって、でも
状況によって、でも。

揺さぶることや、揺さぶられることが
自然で、当然で、楽しめること。

揺れを楽しめる状態、というのは、
どっちかの方向に行きっぱなしでなく、
行きつ戻りつするのを知っているということ。

揺れに意識は行っているけれど、
存在全体が行ってしまってるのではない。


それが、子供が遊んでいる時に近い状態だよね。

高い高いをされていても、ケラケラ笑っている。

ブランコが大きく揺れても、楽しんでいる。

最初はびっくりしたり、怖がったりしても、
委ねているうちに、戻ってくるのがわかったから。

戻ってくることを知っているから。
放られっぱなしじゃないという信頼があるから。

そして戻ってきたら、また行くことが繰り返されるから
その繰り返しがおかしくて、笑っている。
遊んでいる。


そして、二つの「何か」が、触れたり振れたりする時。

触れ合ったり、振れ合ったり、揺れ合ったり。
揺さぶり合ったり。

一方通行では起こりえない、
その「揺れ具合」を、
共振、共鳴、と言うのだ。

何かに影響を一方的に受けるのではなく、
何かが心に触れたり、感動したり、共感したり
したのなら…

共に揺れあっている、共に響き合っている。

それに気づき、認め、観察しながら味わう。

揺れる、って素敵なのだ。

官能的な意味でも、ね~~(^_-)☆

どっちかだけが揺らしているんじゃなく
お互いに揺さぶりっこ。

揺れるのを怖がっていても楽しめないし、
戻ってくる地点がなければ、それもまた
逆に楽しめないし。

揺れに翻弄されまくることと、
行きつ戻りつ、広がりつつ縮まりつつの
ダンスのような動きとの違い。

それはやはり、委ねつつも自分の芯がある、
そこに「意識」が
行きわたっているかどうかだろう。

それが、「軸」があるもの同士の共振だ。

そこが、強いていえば、依存と共存の違いだから、
インチャイセラピーでいう、
【共依存から共存へ】ということになる。

自分の芯/真を中心にして、互いに揺れ合うこと、
共振することは、共存することなんだ。


地球の「揺れ」についても、
そこまで言ってしまえる準備が出来ているとは
心理的に思わないけれど
それに近い「感覚」を持っている人達は増えている。

それも含めて、
この地上で起きていることだけでなく、
宇宙からのエネルギーも含めて、
存在している、ということは、振動しているということ。

振動が「個の表現」であり、
「命」は、常に、振動し合い、
お互いの「命」と共振、共鳴している。


これもまた、太古の昔から当然だったことに、
今、意識が広がりつつあるだけのこと。

だけど、このようなプロセスを経た意識が
意識する意識は、
古くて 新しいはず。

同じ振動でも、共振でも、
その時々の振れ方/触れ方があり、
きっと、二度と同じものはないはず。


だから やっぱり これに尽きる。

慈しもう。今を。


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