~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
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距離と位置と意図

9時間のフライトは、あっという間でした。

オレゴン州・ポートランドのホテルから更新しています。
一人で使うのがもったいないほどの広さ。
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こういうスペース使いは、さすが、広いアメリカです。

この部屋で充分ダンスもできるな…w

今日と明日、トレーニングが始まるまでの二日間は、
ホテルでゆっくり時差調整する予定です。

私は、いつも、どこに行っても順応性が高い方なので、
そんなに時差ボケもないのですが、今回も、
時差からいって、飛行機の中で寝ておいた方がいいな、と
思って、十分寝たので(そう思って実際に寝られるところが
私の特技の一つ・笑)、こちらの時間の朝9時に着いたのですが、
それからずっと起きていられて、今、夕方6時近く。

近所のオーガニック・スーパーマーケットへ食料の買出しにも
行ってきました。

そして、ホテルのインドアプールでさんざん泳ぎ、
熱いジャクジーに何度も入ってリフレッシュ。

お部屋にも大きなバスタブが付いているので、
ゆっくりお風呂にも浸かり…

さて、と。 

ここでちょっと横になったりすると、
変な時間に目が覚めてしまうので、ブログでも更新しようと
考えたわけです。

6年ぶりかな、7年ぶりかな、のアメリカは
いたって変わらず、といってもいいくらい、
特に感慨深いわけではないのですが、ちょっと面白いのが
自分自身の、人間としての感覚の変化。

6,7年前は、FacebookなどのSNSは、今ほど発達しておらず、
利用もしていませんでした。
PCは持ってきていて、スカイプなどで日本のスタッフ達と
打ち合わせできることが新鮮だったくらいでした。

それにしても、6,7年前って、10年、15年くらい前の
感じがするな…確実に変化のスピードが早まってる感じ…


私は、いつも人間の意識の変化に関心があるので、
SNSなどがどんな風に意識に影響するのかには、ものすごく
興味があるのですが、今回際立って感じたのは、

物理的距離感の消滅」。

携帯電話やインターネットの普及は、ただでさえ、
遠くの人たちとのコミュニケーションを簡単にしたと
思いますが、それが更に、今の形は、【なう】という、
「今ここ」をつぶやき合ったりすることから、
今どこに「いる」か、だけがポイントで、
その、違う場所にいる者同士が集っている、
バーチャルな空間そのものには、何の変化もない…

このブログでも、たったひとつ前の記事が
行ってきます、という記事だったのに、
その舌の根もかわかぬうちに(?)、
本人が移動したほかは、何事もなかったかのように
再び画面上に現れている。

「行ってきます」「行ってらっしゃい」「おかえり」などの
声(文字)をかけあったりするけど、ほどなく、
また同じスペースで「顔を合わせる」ので、
どこが、「帰った場所」なのか、よく
わからないような、不思議な感覚になります。

もし、そのバーチャルスペースが、帰着点なのであれば、
物理的にどこに移動しようがまったく関係ない、
意識だけで会話している、そここそがHOMEということに
なります。

追記→ 「意識は、究極的には「ひとつなるもの」で、
そこには、「分離」という感覚は存在しないことを
思い出す体験をしているのだ」というのが「降りて」きました。


確かに、身体はA地点からB地点まで移動していて、
そのプロセスをちゃんと、時間という感覚と共に
たどっているのだけど、一度、「そこ」に繋がってしまうと、
その物理的距離や時間の意味がない感じ。

人間の技術の発達は、人間の意識の進化と関係していると
いうことであれば、「宇宙人アミ」の本だったかな?
どうやって、遠い星と星の間を移動するのか聞かれて、
「距離を移動しているのではなくて、
行きたい位置を意図して、位置するだけ」というような
表現があったのですが、なんとなく、それと、この感覚が
リンクしているような。。。

勿論、実際にそんな、「テレポーテーション」的な技術が
発達している未来は、まだまだ先かもしれませんが、
距離感と時間の感覚に起きている、
著しい変化を思えば、なんとなく向かっているところが
そこなのかな、というような。。。

たくさんの「今どこ」、「今ここ」のつぶやきの集いは、
ピンポイントで、「今いる位置」を表現し合う集まり。

自分自身の「移動する」というプロセスも、
A地点とB地点を「直線」で繋いだ感覚ではなく、
たくさんの、「今ここ」、つまり、たくさんの
ドット(点))として感知する感覚に
近くなってきているような。


それはつまり、

Go から 「Be」へ。

どこかに 「行く」のではなく、「いる」という感覚。
この「いる」という感じが、「位置する」に近くなり、
「望むところにいる」=「意図したところに位置する」。

その、「位置を意図する」ことで物理的距離や時間を
超越することと、昨今流行りの、引き寄せの法則や、
想いの現実化、などは、繋がっていますね。

何かを実現するには時間が必要、とか、遠いから無理、とか、
先祖代々伝わるものだから、とか、伝統や文化的制限など、
すべて、ものごとの変化や実現において、あらかじめ
制限や制約がある前提で、プロセスを長く設定する必要が
ある、という、三次元的、限定的な観念であり、

「直線」的な思考に基づいています。

それに対して、今、起きつつあることは、
この「直線」というのを、分解した感じ?
ある意味、原「点」に帰る感じ?

瞬間」とか「瞬時に変化が起きる」という感覚。

それが、「点」という意識であり、逆説的ですが、
直線を超越するのは、意識の原点の「点」の感覚なのかも。

(天気予報や、実際の天気の突然の変化などが、
最初のころは広い地域を対象としていたのに、
だんだんと、ピンポイントになってきたのも偶然ではなく、
「気象の変化=気性の変化」を表していますね。)

そして、その「点」が、あらたに点として認識され始めると、
集まった点は、今までの、制約だらけの直線ではなく、
自由に、弧/個を描き始めたりするのかもしれません。

とにかく、この視点では、みな、物理的制約や
思考などの観念による制限を超越する、という、
ひとつの方向性や可能性を指しており、
それが、来るべき人間の、意識の飛躍的進化になる…

まさに、Doing(直線とか時間にとらわれた発想とか)から 
Being(点とか「今ここ」など、時間と距離を超越する発想)
への、自己表現の飛躍的変化。


・・・などと、旅先でも、とりとめもない独り言を綴っている、、
【今ここ】なう。

そして、眠くなってきたなう。夕方6時半。

外は、大雨。
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ちょっと、下にコーヒー飲みに行ってこよう。

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