~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
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ピアノで瞑想

先日、長野県の女神山で、日本で初の
AFP・アート・オブ・フェミニン・プレゼンスの
認定ティーチャー達のための研修合宿を、
AFPジャパンとして開催しました。

AFPの「ティーチャー」というのは、
自分が一段上に立って、
「私が教える人、貴女は私から学ぶ人」という姿勢ではなく
常に自分も知らないことや初めての体験に
オープンでいて、
何よりも、自分自身がフェミニンプレゼンスを
体現している、あるいは、体現したいと探求している人です。

AFPには44個のボディやエネルギーのプラクティスが
ありますが、私は、AFPのティーチャーとは、
45個目の実践的プラクティスだと思っています。

そして、ティーチャーとして活動して初めて
訪れる感動の瞬間の数々・・・

その素晴らしい女性達のスーパーバイザー役として
今、私は活動させて頂いているのですが、今回、
皆既月食と重なったタイミングでの素晴らしい、
嬉しいミラクルやハプニング連続の中で、
私にとって、個人的に忘れられない素敵なことがありました。


それは ピアノ瞑想。



写真は、ピアニスト、ピーター・ケーターさんのピアノ

去年3月に行なったイベントでは、
何十年ぶりかで正式に人前でピアノを演奏したり、
伴奏したり弾き語りをしたり。
ドキドキしながらも、楽しめたことが新鮮でした。

そして、先月、ハワイに行った際には、
瞑想音楽でも演奏されている有名なピアニスト、
ピーター・ケーターさんのお宅に皆でお邪魔して、
ご自宅での即興リサイタルをして頂くことがありました。


あまりの心地よさに皆、ピアノの下で寝転んだりして
聴いていました。

この贅沢すぎる素敵な体験!
これが思いのほか、私にとってインパクトがあったようです。

なんだかここのところ、遠ざかっていたピアノが
どんどん近づいてきてるのです。


前にもブログに書いているように
私は、音大をめざすほどピアノを「一生懸命」やっていた
時期がありました。
4歳から25歳くらいまで、ピアノから離れたことは
ありませんでした。

アメリカの高校に留学していた時も
合唱部のピアノ伴奏や、弾き語りでイベントに
出演したり。

そんな歴史がありながら、
私は、「ピアノが好きだ」と本当に感じていたことが
なかったように思うのです。

いつもいつも、それは、「間違う」ことの恐怖と
一緒の時間でした。

決められた楽譜に従って弾いていると、
あきらかに「間違え」ることがあるわけで、
音がはずれたり、クリアーに響かなかったりすると
聞いている人にははっきりわかるわけです。

その恐怖と同じくらいあったのが、
私の中に、幼い時からいる、エンタテイナー、
パフォーマーのインナーチャイルドで、
その子はいつも、聴いている人だけを意識して
楽しんでほしい、喜んでもらいたいと思って
ピアノを弾いていて、純粋に、
自分が心から楽しんでいたか、は疑問でした。


ピアノのレッスンは大嫌いだったので
練習するのも死ぬほど嫌い。

自分の好きな曲以外は、クラシックは嫌い。
決められたとおりに弾く窮屈さで、
記憶の中のレッスンや練習はいつも息苦しい。

そんな中での私の至福のピアノの時間は二つ。

ひとつは、自分の弾くピアノで
「みんな」が歌ってくれる時。

絶対音感があったので、一度聞いた曲は
大体、耳で覚えて弾ける。

だから、小さい時から、流行の曲を弾くのが
大得意でした。

もう一つ。

誰も聞いていない時に、
勝手に指が動いて、奏でていく時。

いわゆる即興です。

勝手に歌詞がつくこともありました。


即興演奏が大好きだったのにも関わらず
そういうジャンルがあるとも知らず、
また、それがやりたいことだったとも特に思わず

いつのまにか、ピアノは私の人生の主要な位置を
占めなくなりました。
(それでもピアノは手放せず、電子ピアノは
いつも部屋にある状態)


そうなってから、今度は、他人の演奏を
聴くのがつらくなりました。

上手な人、即興演奏をする人、
アーティストの伴奏をしている人、

生であれ、録音であれ、
じっと聴いているのはつらくて。

でも、なぜつらいのか、にもあまり
注意を払っていませんでした。


しばらくして、ようやく、
ああ、自分もこんな風にできたかもしれないのにとか
自分はこうはなれなかったんだ、
更には、弾いている人が間違えてしまったら、
という、余計なお世話の勝手にハラハラ、などの
気持ちがずっとあったのだとわかりました。

瞑想音楽でも、ピアノの入ったのは嫌いでした。
嫌い、というより、かけたくなかった。
落ち着かなくなるから。

カラオケで歌うのですら、伴奏がピアノがメインの曲は
歌いたくなかった・・・。


それが・・・・・、



いつのまにかなくなっていたのです。


ピアノはおそらく、私の女性性の旅と共にあったようです。

私が、フェミニンプレゼンスなどを通して
本当に自分の女性性にくつろぐことを覚えた時、
あ、いや、思い出した時、
ピアノの音色は、それまで思ってもいなかったほど
優しく、美しく、官能的に、
私の子宮に共鳴するかのように響いてきました。


ハワイで、ピーター・ケーターさんのお宅にお邪魔した時も、
その場での即興、と聞いて、少しだけ
心が固くなった瞬間がありましたが、
その後は、ただただ素晴らしい演奏に、
何にもとらわれることなく
酔いしれることができました。

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で、その後に出てきた、かすかな声が・・・

「私も 弾きたい」

だったのです。


即興で、自由に、もう動かなくなった指でも
私の心と、魂と、世界とのハーモニーを
流れ出させてみたい・・・

そして、その時に私も含めて皆が
心地よさにほとんど瞑想状態になっているのを見て

いつか、生のピアノで瞑想曲を奏でたい・・・などと
ぼんやり思っていました。


そして帰国後すぐ、翌週末に訪れた長野の
女神山ライフセンターのホールにはピアノが。


私は、森の中のホールでピアノを奏でた・・・

やってくるままに・・・

指が、心が、動くままに・・・


いつのまにか、瞑想している人がいた


終わって、彼女がそっと私に囁いた

皆の瞑想の時にも弾いてほしい、と…


そして、不思議な流れのままに
皆に瞑想してもらった・・・


私も瞑想しながら…


私のピアノで・・・






その時に 気づいたのです。


あれ?


まったく緊張していない。

「間違える」恐怖が消えている。

間違えても平気。

クラシックを弾いてみても。

そんな自分が初めてで。

でも、歓喜ではなく、
静かな、満たされた状態。

こうしたかった、ということが
そうなることが、当たり前である状態。

見せびらかすわけでもなく、
パフォーマンスでもなく、
もはやエンタテイメントの発想もなく。

ただただ、自分自身も瞑想状態での
ピアノ・・・ たくさんの音が波のようにやってきて
ずっと弾き続けられそうでした。

そして、皆が素晴らしかった、と言ってくれて…。



ああ、こんなことを、ピアノのことを、
こんな風に書き綴る日が来るとは
まったく思っていなかった・・・・


またひとつ、感性が戻ってきた。

またひとつ、想いがかなった。

静かな、静かな 喜び。

女神山の雨の森の中に
しみわたっていった音色のように・・・




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