~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
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世界の日常が国境を越えている

アメリカから特定の国々に対しての入国禁止令が突如出された日の前日。


久しぶりに世界の人たちと気軽に、ライブ配信を通して
互いの日常を分かち合えるペリスコープで
長いこと「遊んで」いた。

ペリスコープでは英語でライブ配信しているのだけど、その日は私は気ままに
If we hold on togetherをピアノ弾き語りで歌っていて、その間
今回の対象国にもなっているイランの人がチャットでずっとコメントしていてくれた。
彼のリクエスト曲がうまく歌詞が思い出せず、
チャットで書いてもらいながら歌う場面もあって、とても暖かかった。


その後、今度は、イスラエルの女性が病室から、「手術まであと数時間」と、
脊椎の手術を控えて、明るい気分になれるような曲を歌いたいと
寝ながら大声で歌っている様子を配信していた。
私も含め、世界中の仲間がエールを送り、手術の成功を祈り
一緒に歌った。


中国のおなじみの若い男性は、もう100日以上ぶっ通しで
自分のダイエットの過程を配信していて、その日は
「お正月で食べ過ぎて太ってしまった!」と叫びながら
筋トレする様子を黙々と流していた。

ドイツの男性は、毎日自分のピアノの練習時間を配信しており、
その日もなんども間違えながらも、大好きな紅茶を時折飲みながら
いろいろな曲を練習していた。

アメリカ・フロリダ州の男性は、ワニのいる川や
美しい夕日の様子を配信。

イギリスの画家は、その場で絵を描く様子を配信。

アメリカ・西海岸の女性は、自分の家の台所を360度見渡せるカメラを使って
夕食の準備をする様子を配信。


ちょうど、ゆっくりいろんな国のいろんな人たちの「日常」を見ていたところに
「入国禁止令」のニュース。

以前の私なら、もっと感情的に反応したかもしれない。


でも、最初の驚き(予想はしていたとはいえ本当にやるんだ?というような)のあとは、なんだか、不思議な違和感と共に異質なものを見ている感じだった。


もうね、今日の世界はビジネスや「国際交流活動」で繋がっているだけじゃない。

人々は、すでに国境を越えて、
「特別な状況」や手段をも越えて、
ただのオーディナリーな日常を
分かち合って、繋がっている。

日常の意識や感覚が変わるということは
とてつもなく枠が広がるということ。

「快適ゾーン」の範囲が
少なくともバーチャルでは広がっているということ。

それはもう止められない。

物理的な壁や塀は意味を持たない


ただ。

「HOME」の重要性は、今までとは違う意味で、そして、あの国の大統領が言っているのとは違う意味でもっと増している気がしている。

広がれば広がるほど、自分の中心にいること、自分の意識のHOMEに帰ること、
どこにも行かなくてもよく、自分のスペースを自分自身のために愛で満たすこと。

誰も入って来れないように、恐怖や不安で「境界線」を引くのではなく
自分の意思で自分のエネルギーで満たしているスペースを
しっかりと持つことこそが、自分でいることの居心地良さや存在感を増すことなのだ。

これらは、アート・オブ・フェミニン・プレゼンスで何度も何度も
練習することだ。

何度も練習が必要なのは、
私たちは、それがどんなにいいと思っても、
慣れ親しんでいる方に戻ってしまうから。
居心地の悪い状態、不自然な状態、という居心地に慣れてしまっているから。

そういう意味では、あの大統領でなくても、
「自分を優先にしよう」「自分を大事にしよう」
「自分の心地よさ、自分のやりたいことや自分が豊かになるためのことを他の人のために動いてしまうことで忘れてしまわないようにしよう」などの思いは、状況は違えど、「アメリカ」「自分」という言葉を入れ替えれば、なぜこんな状態になっているのか、自分の中の声を聞いていると思えば、なるほどとは思えるところ。


ペリスコープのライブ配信の世界は、どんな日常や自分の無防備さを見せても、そこに画面を飛び越えて侵入してくる人はいない、という世界。
どんなに暖かい言葉や時に批判や非難のコメントがチャットで入ってきても、
それは物理的な自分の「スペース」には侵入してこない。
全部、自分のエネルギーで満たされた中での外への表現だ。

その中で人々が、どんどん自由に自分の何気ない日常を分かち合っている状態は、
言ってみれば、上記の意識の練習をしているのかもしれない。

もちろん、これは私個人の感性に基づく視点なので、いろいろな弊害もたくさんあるのは承知だけれど、少なくとも「今起きていること」は、そんな風に感じることを選択してみると、世界のどんな場所にいようとも、誰でいくつで何人で何の仕事をしていようとも、自分自身の足元、HOME、そして自分がくつろげる場所や日常を過ごす何気ない場所や時間の大切さや、日常的であることの非日常性を慈しむ意識の練習をすることで、一人一人が豊かに生きて行く過程であるように思えてきたら、なんだかそう悪くない。
 
 

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