~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
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異なる視点・異なる世界観

いつもいつも同じ位置に座っていると、同じ景色しか見えないし、
その景色を見ながら考えることが「世界観」になっていく。

それを応用したのが、時折セッションで取り入れる、「チェアーワーク」。

座る場所が変わると、見えるものが変わる。

その感覚を、違う年齢の自分、違う役割の自分、違う考え方の自分に
合わせて、実際に異なる自分の感覚を味わっていくというものだ。


異なる自分の数だけ椅子を用意し、
異なる自分の声が出てきた時は、
瞬時に違う椅子に移動して、言いたいことを言うというもの。

ただ、これは、話している内容や行なっていること以上に、
実は、どのようにこのワーク自体について受け留めているか、が
その人の状態のバロメーターになる。

これを初めてセラピストの前でやるのには
かなり恥ずかしさやとまどいが出てくる人もいるのと、
自分の声を、相当、赤裸々に出してしまおう、
さらけ出してしまう、という覚悟がないと、
いつのまにか意識が、「どうやってまとめようか」とか、
出てきた異なる自分の声の中での「競争」が始まって、
「強い」ものや、「イイコ」や「エンタテイナー」が
その場を仕切ったり、まとめたりしようとし始める。

そうなると、消化不良で残った自分の声が、
後から出てくる場合もよくある。


あるいは逆に、絶対にまとめさせないという反乱分子が
その場をのっとることもある。
いつまでも堂々巡りの会話を繰り広げさせ、
絶対に他の「声」は耳に入れないぞ、とかたくなになってしまう。

いずれにしても、このワーク自体も、プロセスなのである。
つまり、これは、プロセス=途中 であって、
これをもって何かがスタートしたり刺激される、ということだ。


インナーチャイルドの長いコースも終盤に来て
これを取り入れると、ちょうど今まで自分が見てきた、
違うチャイルド達の声を同時に聞いていくチャンスになる。

それと同時に、『誰が』仕切ろうとするか、が明確になる。

今回の場合は、明らかに、「大人」だった。


セラピーというのは面白いもので、長いコースを受けていると
うまく終わらなくてはいけないのではないか、
どう終わるのが理想的なのか、とか、
あるいは、このまま終わることはできないのではないか、
またもとの自分に戻ってしまうのではないか、などの不安も出てくる。

それも、ぜ~んぶオッケーなのだ。

ただ、どんな自分が出てくるかに気づくことだけが、セラピーを終える終えないに
関わらず今後の自分の生き方を自分で創造してく時に
役立っていくのだ。

でも、とりあえずは、うまくまとめよう、と思うよりは、
ぜんぶ出せるものは出してしまえ、という方が
宇宙との共同作業がしやすいかもしれない。
そうすると、出せば出すほど、完璧な流れが
ちゃんと存在していることへの驚嘆が経験できる。

これはセラピスト側も同じで、セラピストの方が、
「うまくまとめよう」とか、前例のみを元に「判断」しようとしたり
クライアントさんをある方向に無理に持って行こうとしたりすると
そこには無理がかかったり、
宇宙への完璧な信頼の欠如が、完璧な流れを起こすことを
むずかしくしてしまう。

とても微妙だけどね…

とにかく、どこかの時点で、「流れ=起きることを信頼する」のだ。


そして…この日のセッション後も、起きた起きた…

とてつもない動揺と、何故そんなタイミングで起きるの、ということが
起きた…

メールでの報告を読みながら、一つクリアーだったのは、
チェアーワークの時に、「言いくるめられた」感じになっていた、
アダルトチャイルドちゃんが、何らかの抵抗や反乱を
起こすのではないか、と思っていたことが起きているということ。

それをそのまま返信しても、恐らく渦中の本人にはわからないと
思うので、次回=最終回に、やれば大丈夫、ということを伝える。
あと、できればやってみて、という「宿題(課題)」も伝える。

ここまでやってきて、どうしてこんなことが起きて、
どうしてこんな想いをするの、どうしてこんな目に遭うの、と
本人は泣き叫んでいる…

だが、それがまさに、その言葉そのものがまさに、
本当に、本当に、チャイルドが今まで叫びたかった想いなのだ。

それにしても、それを「消化」するためにそういう現実が…?

う~ん、それだけではないけれど、それも立派な「視点」として成立する。

現実との出来事との微妙なリンクの中で、今までの集約であるかのように
チャイルドちゃんの声がちゃんと出てきているのだ… 
ようやく出てきたのだ。終盤に来て。

それが「犠牲者」の声であり、起きている出来事の内容と
ちゃんとリンクしているのだ。

今、どの椅子に座っているか…そのまま続きができるほどだけど…
人間というのは、その瞬間にはなかなかそんなことができるもんじゃない。

それにしても、一つの出来事の中に、ありとあらゆる「世界観」が成り立つ。

1人の人間の中だけでもそうなのだから、
複数の人間、大勢の人間が関わった出来事には、
異なる視点、異なる世界観、異なる「椅子」があって当然だ。

ここでもまた、大切なのは、「言い聞かせる」前に、
「声を聞く」ことだ…と実感。

私達が生きている現実は、あくまでも、どこまでも、
一つの多面体なのである。


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