思考が現実を創る
「現実を創っているのは、思考、言葉、行動」。
これはもう近年、あまりにもよく見聞きする「原則」。
文字上や観念としては「わかった」と感じている人も多いだろう。
つまり、「現実を変えたければ、この思考、言葉、行動を変えること。」
「この中で一番ベースになっているものは、【思考】。」
だが、これを変えるのは簡単ではない。
なぜなら、【思考】の下には、信念が、思い込みがある。
その信念と思い込みを創ったのは、「体験=現実」である。
すなわち、これはぐるぐるぐと回り続ける輪~循環しているのだ。
やってもやっても、頑張っても頑張っても、
いわゆる「ポジティブ思考」を学んで取り入れてみても
変わらないように思える時…
ふっと、前にも同じようなことがあった、と気づく時…
自分は、これを繰り返している、と気づいた時…
愕然とすることはあっても、心配することはない。
その時こそが、チャンスなのだから。
やっと、真に「変わる」いや、「変える」チャンスが来たのだから。
誰かに「教わって」考え方を変えるとか、そんなものでは
表面上は変えられても、なかなか「現実」が変化しない。
では、どこに抜け道を見出すのか…
信念=思い込みのところである。
それを変えるには…
まず、自分が何を思い込んでいるのか、発見しなくてはいけない。
それを発見するには…
自分の現実をしっかりと見ることだ。
それも、「事実」ではなく、気づけば、現実といつも共にある、
自分の感覚、感性、感情と向き合うのである。
現実とは、事実の受け止め方であり、事実に伴う感覚であり
その人の感性によって異なってくるものなのだ。
第一のステップは、その現実によって、
そのような感情や感覚を感じている、と認めることだ。
そしてその次に、こう宣言することだ。
自分は望む現実を【創っている】と。
『え!いやいや、なぜ?とんでもない!
今の現実は望んでない。こんな現実は望んでない。
こんな現実に誰がした?!なぜ私がこんな目に!なぜなぜなぜ?!』
そう感じる時ほど…
望んでいない、嫌な現実であればあるほど、認めることだ。
望んでいない現実だと思えば思うほど、
自分がどこかで望んだのだ、と認めることだ。
『私は、自分の信念=思い込みに基づいてこの現実を創った。
この現実を望んだのは自分だ』、と、宣言するのだ。
誰に宣言するのか?自分の全人格に向かって、である。
そう感じない時ほど、そんなのフェアじゃないと思う時ほど。
なぜ?
自分で現実を変えられるようになるためだ。
今がチャンスだからだ。
望む現実を創る最初のステップ、真の自己変容を実現する、もっとも
高レベルで、確実なステップは、
今自分が生きている現実は、自分が望んだ現実であり、
自分が創ったと認めることだ。
そうして、次のステップは。
「なぜ、これを私は望んだのか?
なぜ、何度も同じことを繰り返しているのか?」
探求することだ。
なぜ、新しい現実を創ろうと言い聞かせるだけではだめなのか?
自分の中にまったく「わかってない」部分、
強力「抵抗」キャラがいるからだ。
その部分が、強い強い「思い込み」を創り、
その通りの現実を創っては
「ホラ、やっぱりね。だからこの信念は有効なのだ」
と 言い続けようとするのだ。
私達は、外の他の「相手」やら「グループ」やら「国家」やらの前に
自分自身のその部分と「対話」し、「平和」を築かなくては。
「他の人」ではない、自分自身が望んだ現実を見つめなくては。
そして、この現実はもう望んでいない、もう同じことは選ばない、と
はっきりと自分と自分の全意識に伝え、対話し、言い分を聞き、
思い込みを認め、説得し、もうそれを望んでいないという結論に、
自分の全意識で到達することだ。
そのための方法はたくさんある。
インナーチャイルドワークはその一つ。
自分の無意識の中に住む、子供のままの人格との対話、交流、癒し。
イメージワークもその一つ。
イメージするということは、感覚を使って、
違う現実を自分自身に 体験させる、ということだ。
過去生療法もその一つ。
可能性の一つとして、今の現実ではない現実を仮定し垣間見ることで
そこでの変容を起こし、現在に連動させる。
他にもアプローチは無数にある。
ただ「座って目を閉じる」というのも含めて。
それでもまったく何も変えられない?
では、ハイヤーセルフ…自分の【魂】と、
じっくりと 向き合ってみようではないか。
どんな瞬間にも、【魂】の望んでいることが起きている、
と いうことがわかるまで…
自分の普段の意識では計り知れない、壮大なる、慈愛に満ちた、
魂の高い高い次元からの計画があったことが感じられるまで…
そして、自分自身の選択をも、他の生命の選択をも、
同じように等しく敬えるまで…
究極的「現実」は、すべてが愛ゆえの選択の結果であることを
「思い出す」まで…
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