~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
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聖なる官能の果てに

長野県の別所温泉近くにある、女神山ライフセンター。

もう長年、行きたかった場所。


そこに、もっともふさわしいタイミングで行くことになった。

「聖なるセクシュアリティ」=タントラワークである。

「女神」のエネルギーを感じる女神山において、
日本では貴重な、男性のファシリテーターによる、
セクシュアリティ=タントラワークだ。


インナーチャイルドとセクシュアリティは、
関係するチャクラが共通していることもあって、
切っても切り離せない関係にあると思う。

実際に、いつも、セラピーでは
インナーチャイルドセラピーを受けている最中に、
セクシュアリティの課題が浮上することは、
まるで当たり前のように起きている。

つまり、そのセラピーを行なっている私自身にとっても、
その両方ともが、自身の人生において、
大きな大きなテーマであり問題であり、癒しが必要だったもの、
すなわち深い傷=ギフトを持っていたということになる。

数年前の子宮筋腫摘出と共に、自分の女性性と真剣に向き合って
解放するプロセスを本格的に開始し、今では信じられないことだが、
自分の中の、性に対する嫌悪感、差別感、先入観、被害者意識などと
向き合い、それと同時に最終的な私のインナーチャイルドの
解放プロセスとなっていった。

あんなに毛嫌いしていたベリーダンスを、今、こよなく愛し、
この上なく官能的に、自分の身体をくねらせたり踊ったりすることが
楽しくなったのも、数年前なら考えられなかった出来事だ。

自分の中の、「ダメ」と言っている部分、「タブー視」している領域、
判断や比較をしている部分を開放し、鍵を開け、ドアを開け放ち、
大きく一歩を踏み出していくことは、ことにセクシュアリティの領域に
おいて、とてつもない変容をもたらすことになる。

嫌悪していた、女性的な動きや仕草、セクシーな言動も
まったくノープロブレムになった、「変容後の私」として参加した、
今回のタントラワークは、3泊もあったので、
大いにプロセスを深め、謳歌できるだろうと、何よりも楽しみにしていた。


そして、実際、深い深いエネルギーワークの日々だった。

当たり前のことだけれど、セクシュアリティのワークというのは、
性(性行為)に関することを扱うだけではなく(それは勿論大事だが)、
男性性、女性性、すなわち、陰と陽、行動と受容といった、
自分の中の二極化された、この三次元独特の価値観やエネルギー的なものと
徹底的に向き合うということだ。

そのような観点で、ヒーリングスクール卒業以来、本当に久しぶりに、
徹底したエネルギーワークを行なった感があり、
素晴らしいファシリテーター、サンバボのリードによって、
本当に、深いだけでなく、美しいセクシュアリティワークになった。

しかも、私には、想像していなかったギフト=気づき体験が待っていた。


私にとって、官能とは、感性、感覚、感情と共に、
「感=観=間=肝=完」という意味のある、大変に重要なものであり、
官能とは、「意識と身体の間に働く感覚」のことである。

それは、新鮮で取れたての野菜からエネルギーを感じて
食べる時に味わう恍惚感のことであり、
(特にアボカドにわさび醤油で食す時とか!!(笑))
疲れた身体を、熱いお湯に沈める時の、
一気に身体全体が緩む恍惚感覚のことであり、
美しい歌声や楽器の音色が、耳を通して、ハートや子宮にダイレクトに
入ってくる時に味わう恍惚感覚のことであり、
恋に落ちた相手に、ふっと指先が触れた時に働くセンサーから、
電気のようにかけめぐる恍惚感のことである。

官能は、常に、意識と身体の間にセンセーションをもたらす感覚だ。


そして官能を極めていくと、そこには逆説的に、
性は存在しなくなる気がする。

女性性、男性性の二極をすら越えたところに、
真の官能のダンスがある気がするのだ。

ダンスといえば、このワークショップほど、踊りまくるものは
今までなかった。

こんなに踊ったのは【六本木のディスコクィーン】だった、
学生時代以来(爆)、いや、もしかしたらその頃でさえ、
あんなに踊らなかったかも。

踊るだけではなく、いわゆるアクティブメディテーション、
つまりじっとして座っている静の瞑想ではなく、
何かで動きながらの瞑想が多かったので、
気づけば早朝から、夜中まで!
踊りまくり、動きまくり、汗かきまくりの日々だった。

先週末も熱川でそんな感じで過ごしていたので、一体身体は
大丈夫なのかと思いきや、そこはやはりエネルギーワーク。
疲れるどころか、逆に元気になってしまうのだ。

帰ってからもまったく元気。睡眠時間すらそんなに必要ない状態だ。


そして、この素晴らしい数日間の間の大きな気づきは、
自分の中の男性性を感じながら踊りまくりシャウトしまくる、
というワークの時にやってきた。


なんと私は、今回初めて、自分の中の男性性を受け入れ、
自分の中の男性性に恋に落ちたのだ。



聖なるセクシュアリティ、あるいは聖なる結合、合体、あるいは結婚とは、
自分の中の男性性を愛する女性性と、
自分の中の女性性を愛する男性性との間に
起きるものなのかもしれない。


まだまだ、私の中の「結婚」までは行っていないかもしれない。

でも、私の中にいる、男と女は、恋に落ちつつあることは確かだ。


大いなる官能の果てに。


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