~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
0

映蓮という「名前」の意味

生まれた月だからだろうか。
今日はなんとなく、以前から書こうと思ってて書いていなかった、
私の「映蓮」という名前について書こうと思う。

私の母から聞いているのは、本当は、母は、私の名前を「映子」(本名)ではなく
「リカ」という、カタカナの名前にしたかったらしい。
でも、母の母、祖母が、あまりにも美しい夕焼けを見た時、
身重の母のお腹をさすりながら「何事にも『映える子』になってほしい」、という意味で
「映子」という名前がいいと言ったらしい。

正確なところは覚えてないけど、確か、そんな話だったと思う。

その祖母の話は、私の心に深く刻まれ、「映える」という表現が
とても美しく聴こえて誇らしく思ったのを覚えているが、いまいちイメージが
浮かばず意味はよくわからなかった。

でも、なぜだろう。
私は、ものごころついた時から、「えいこ」という名前が好きにはなれなかった。
どうしても、どうしても、好きになれなかった。

名前を呼ばれるたび、名前を書くたび、自分のことではないという気がずっとしていた。
幼い時の体験とも色々と関連しているだろう。

いつの日からか、私の中に、きっと他に私らしい名前があるに違いない、と
感じるようになっていた。

精神世界、ヒーリングに関心を持ち始めてから、そして、おりしも、
インターネットの普及の時期と重なったことで、
人が、ハンドルネームという形で、あるいは自分の魂の名前、とも言うべき
自分らしい名前を名乗り始め、
また、プロ野球で、史上初めて、苗字を名乗らず名前の「イチロー」というアイデンティティで
勝負を始めた選手の存在なども出てきて、
私の中に、私も自分にとって心地の良い名前を探そう、授かりたい、と
思うようになってきた。

それは、親(祖母)がつけてくれた名前を嫌うとか捨てるとかいう意味ではなく、
自分を否定したり嫌ったりという出発点でもなく、
むしろ、自分を人生で初めて、肯定したり好きになり始める時期と一致していた。

そんな中で、何度か、瞑想状態になって、
「私の名前」を問いかけていたところ、
ふっと『降りて』来たのが、「映蓮」である。

これは、その、深い深い、深遠なる意味と同時にやってきた。

目の前の人の瞳の中に、蓮の花が映っている喜び」という意味なのだ。

しばらくじーっと考えないと、私自身、その意味するところがちゃんと
伝わって来なかった。

でも、知れば知るほど、感じれば感じるほど、この意味するところは深くて、
「参りました~<(_ _)>」って、降参しちゃう感じになる。


蓮の花は、ご存知のように、悟りの花、悟りの象徴とも言われる。
それが、目の前の人の瞳に映っているということは、どういうことか。


それは、私が、存在としての最高の姿で、相手の人の瞳に映っている、
「映えて」いる、という意味であり、
それはすなわち、そういう時には、私の意識には、
相手の人こそが、蓮の花(=存在の最高の姿)として見えている、という意味であり、
つまりは、蓮の花として自身が存在している時、相手の目にも、自分の目にも
蓮の花が映りあっている、ありとあらゆる人、すべての人が、
蓮の花として見えている状態であり、
それは、最高の、至福の喜びである
、という意味で、
逆に言えば、目の前の人の中に「最高」のものが感じられない、という時は、
自分自身が最高の状態ではない、ということになる。

大好きな言葉/言霊、「ナマステ」(^人^)の、もともとの意味、
「私の中の神が、あなたの中の神を 見ています」に通じるのである。

それが、意味と共に「降りて」きたのは、確か、電車の中だったと思うのだが、
閉じていた私の目からは、勝手に涙が溢れ、感謝と喜びでいっぱいの面持ちで
満員電車の車内を見渡したところ、全ての人が、光輝いて見えたのを
はっきりと覚えている。


でも、そんなに感銘を受けた名前にも関わらず、
それから、私自身が、「映蓮」と名乗るのに気恥ずかしさもあったりして
なじむまでには時間がかかった。
ネット上で先に使うようになったので、リアルで名乗るようになってからは
まだ間もないのだが、ようやく最近、心地よく名乗れるようになってきたのだ。

何度も言うが、映子という名前を捨てたい、とかいうのではなく、
映蓮、の方が、私の生まれた意味や使命にぴったり来るのだ。

特に、ヒーラー/セラピストとしてお仕事をしている時には、
私の意識は、完全に、映子ではなく、映蓮だ。

そして、祖母が心から感動した、夕映えの映える、という意味は
映蓮という名前にも、しっかりと生きている。

また、「映る」という単語の意味に、反射する、とか、調和する、
という意味が含まれていることも、英語にした時、それが、
reflect、reflectionになることも気に入っている。
reflectには、内省する、熟考する、という意味が含まれるからだ。

それと、蓮というのが、花であり、私の意識の中に、
人は皆、花である、というのが強くある、ということとも重なる。

また、私の一番最初に見た、自分自身の姿としてのインナーチャイルドが、
クローバー畑で、しろつめくさの冠を作っていたことにもリンクする。

(その時、その場面に入っていった「大人」の私に向かって、そのチャイルドは、
しろつめくさのお花の冠を差し出したので、てっきり、私にかぶせてくれるのかと
思ったら、自分の頭にちょこんと乗せて、「ねえ、可愛い?」と聞いたのだ。
なんという、ちゃっかりしたおしゃまさんだこと!!

あ・・・いま思った!ここで自分の授かった「名前」の素晴しさを語り、
ね~すごいでしょ~?と言っているような自分って、まさに
このインナーチャイルドちゃんだわね~(笑))


ということなので、本名で呼ばれるのが、「嫌」というわけではありませんが
天から授かった、喜びと使命を感じる名前なのです。
なので、「映蓮」と呼んで下さると、とっても嬉しいのです。
年齢や男女に関係なく、「さん」とか「ちゃん」とかもなく、
愛を込めて(←これ大事)呼び捨てにしてもらえると、もっと嬉しいんですけどね~♪


あ、そうそう。それと!


この背景を知って頂けたらと思った一つの理由は、
映蓮を、文字で打つ時に、蓮を、ではなく、と書かれる方が結構いらっしゃって、
変換した時に、連が最初に出てくるので、気づかないでそのままなのだと
思うのですが、私にとっては、冠のない頭が、す~す~するような(笑)、
インナーチャイルドが大事に作ってかぶった、あのお花の冠がないような、
すごい違和感がありますので、どうか、「れん」は、蓮の花、であることを
覚えていて頂き、どうか、どうか、草冠を忘れずにつけて下さると嬉しいですっ(^o^)


あ~それから、「えいれん」という音には、もう一つ意味があるのですが・・・・
もう充分長くなっているので、それはまた今度・・・!

(今度っていつじゃ~!って方、もし、Mixiをやっていらしたら、更新のお知らせが
いきますよう、お手数ですが、「映蓮」で検索してマイミク申請して下さいませ、
「れん」は、蓮の花でないと、連ですと、検索しても出てきませんのよ~
ご注意くださいませ~どうぞよろしくお願いします<(_ _)>)



関連記事

該当の記事は見つかりませんでした。

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する