~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
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アナウンサー同窓会(再アップです)

はぁ~昼間、何故か、書きかけの記事をアップして
外出してしまいました。
ここを覗いて下さった皆様、中途半端な状態の記事で、失礼しました<(_ _)>

気を取り直して、以下、アップし直しです☆


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

このブログでも、たま~に触れていますが、
私は、自分が その昔、いわゆるキー局の全国ネット、
フジテレビのアナウンサーだったという事実を、
ちょっと複雑な想いで、
なんとなく、そっと、部屋の片隅に置いておくような感じで、
「それはそれ」として、今の仕事をしてきました。


あまりにも今と違いすぎる・・・色々な意味で・・・
自分自身も・・・環境も・・・周囲の考え方も・・・
時代も・・・・


なんとなく、嫌っているとか葬り去りたいとかいうのとは違う、
「別物」とか「過去」とか、そんな感じで、
その頃に、ものすごく頑張っていた、私の「アダルトチャイルド」ちゃんは
長いこと、お休み、あるいは、ぼ~っとした感じだったかも。


私が現役アナウンサーだった頃の話を、
ほとんど具体的には書いたり、話したりしたことがないと思いますが
実は、このことについても、ここ最近で、急に、何かが、変わりました。
(やっぱり、エクスタシーダンスと久高島の影響は大きいかも。)


そして、その流れの中で、昨日、フジテレビアナウンサー同窓会がありました。
2年に一度、現役バリバリの若手も、新人アナも、引退した大先輩達も、
そして、ベテランとしてしっかりと味のある実力を発揮している同年代の
元同僚たちも含めて、一度でもフジテレビのアナウンサーをやった全員が
集まる趣旨で行われているのですが、私は、上に書いたような理由や感覚で、
もう何年も行っておらず、本当に久しぶりでの参加でした。


この流れで、私が、これに参加する選択をしたのも、私自身のプロセスとして
大きな意味があると感じています。


なので、ちょっといつものブログとは違うトーンになりますが、
書いちゃいます。


何かのサイクルが完了して、一巡したような、
よくセッションの時にお話する、らせん状の道を
ぐる~っと一巡して、元いた位置、でも一段高くて、下を見下ろせる位置にいて、
下を見ることが心地よくなっているような。

あ。

つまり、年取ったってことか・・・

あ~~~それじゃ~話が終わっちゃうので、ちょっとだけ、それは
おいておきましょ~(>_<)



私の時代は、就職した年に、男女雇用機会均等法が施行され、
女性が初めて、テレビ局の正社員と認められたという時代でした。


それまで、女性は、正社員ではなかったんですよ?
今では信じられない時代です、というか、今は、女性アナウンサーの方が
男性よりも、はるかにめざましい活躍ぶりで、
私の時代には考えられなかった、ピンで、番組MCを担当したり
ニュース、バラエティ、また、イベントや事業にも、のびのびと萎縮することなく
進出していて、(経営者ではなく一社員なのに、仕事が増えてくことは、
それはそれで大変だとは思いますが)本当に、素晴らしいと思います。


私のいた、そんな古い時代でも、私はその頃にしては、かなり変わった感性の発言をする、
勝気で、度胸が据わっていて、涙もろくて、惚れっぽくて、興奮しやすい、という
(あれ~?!、よく考えると、今と大して変わりませんね(^^;)
キャラで、突撃インタビューとか、生放送での中継とか、
色々な意味で危険な場所(暴力団抗争とか、麻薬捜査とか、人質たてこもり事件とか
マニラでのクーデターとか、保険金詐欺疑惑とか、etc.)への取材が多く、
現場で、ある意味、「開き直った言動」をするのが、「ウリ」でした。


でも、奔放に発言する、歯に衣着せず、大物と言われる人物にも突っ込んでいく、
と言われれば言われるほど、私の中では、
本当に言いたいことは言っていない、
本当に何をしたいのか、は、自分ではわかっていない、
自分がないような感じ、が募っていきました。

うちでインナーチャイルドをやっている人ならわかると思いますが、
周囲から見て、「ギフト(才能)」であることは、
本人にとっては、もっとも足りないもの、あるいは、もっともっと欲しいもの、
あるいは、本質的にはそうでも、何か、対象が違う、と感じられていることが多いのです。


自分らしさ、本質の自分、自由な自分、愛すべき自分、との再会は、
私自身の感覚としては、あの職場を去って、
何年ものち、ヒーリングスクールを卒業してからも、
ヒューマニティチームを立ち上げてからも、
更に時間が必要で、しばらくしてから、つまり、つい最近になって、
ようやく、はっきりと宣言することができるようになりました。

それは、やはり、クライアントさん自身のプロセスと可能性を
信頼した上で成り立つ、今のヒーリングセッションのスタイルと、
オフの時間に行っている、ダンスや太鼓のレッスンとが、
段々自分の表現として、セラピーやメディテーション、グループワークとして
確信をともなって顕現し始めたこと、色々な自分と「一致」「統合」し始めたことと、
関連しているのだと思います。


そんなことを色々と経て、今日…←あはは、いきなり、すっご~い時代が飛びました(笑)

いや、昨日。


久しぶりに出席したアナウンサー同窓会で、
自分が一番驚いたのは、その場が、とても心地よかったことです。


正直に言えば、数年前までは、テレビ局の元同僚との集まりなどでも
どこか、自分が変わってしまった、浮いている、溶け込めない、
自分の今やっていることは、皆に理解してもらえない、という疎外感のような
孤独感のようなものが勝手に沸いてきて、
あまりなじめませんでした。

それは、そこになじめなかったのではなく、
まだ、自分が完璧に今の自分を受け入れてなかったのだろう、と感じます。
つまり、自分が自分になじんでいなかったのですね。


昨日は、本当に、終始、楽しく、心地よく、
はるか前に卒業していった大先輩達の話も、
元気に現役で活躍している、とても強いオーラを放っている若手の皆も、
普通に、自然に、「仲間」という感覚を持っていました。
(私が一方的に思っていたかもしれなくても。)


そして、初めて、挨拶の時に、自分の今の仕事が何か、を
心地よく、自然に、話している自分がいました。

どのくらいそれを理解してもらえたかはわからないけれど、
というか、むしろ、理解して下さる方がたくさんいらっしゃり、
興味を持ってくださったことは、嬉しい驚きでした。

それは、時代が変わっただけでなく、
私にとっては、先ほども書いたように、私自身が変わったからなのでしょう。

今の自分を誇示するのでも、卑下するのでもなく、
ただ、自分がこうなのだ、ということが、当たり前だということ、その受容が
嬉しい自分がいました。


そうして、今度は、今、この、ヒーリングサイトにおいて、
この記事において、自分がアナウンサーであったことを、
あたかも、普通に、何を誇示するでも、主張するためでもなく、
書いている自分がいます。


その自分として、大げさですが、
あらためて、私が、何者なのか、をカミングアウト/「アナウンス」します。

私は、旧姓:三竹、アナウンサーだった頃の名前は、三竹映子です。


でも、今の私は、三竹映子よりも、早川映子よりも、
【映蓮】と呼ばれること、呼んでほしい、と選択しています。

その名前の意味に、忠実に生きる在り方を選択しています。

目の前の人の瞳の中に、悟りの蓮の花を映す人、
自分の蓮が、相手の目に蓮として映っている、
蓮が、蓮を讃えている、
私の内なる神が、目の前の人の、内なる神を讃えている人、
常に、ナマステ、と言っている状態の人、

それが、私です。


そして、私は、今も、昔も、

人の話を 「聞く」仕事を しています。

反応し、伝える、「媒体」としての 仕事をしています。

「表現する」仕事をしています。

相手の方から、その本質的魅力を 「引き出す」お手伝いをしています。


今、私は、そのことに、使命感と、喜びを持って生きています。



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