~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
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「神との対話」ニールのメッセージ

私の恩師、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏より、
先日、私の安否を気遣う優しいメールを個人的には数年ぶりに受け取りました。

その後、ニールのブログで、日本へ向けての記事を何回かに分けて書くので
翻訳して欲しい、と再びメールを頂きましたので、
すでにアップされている3つの関連記事のうち、最新のもの(15日付)を
取り急ぎ、粗削りですが、訳し終わりましたので、アップします。

細かいところは、後程修正したりすると思いますが、
思い当たる人々のところに、必要だと思われるところに、
教えてあげて下さい。

これからセッションなので、またのちほど。

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Understanding Japan – Part II
日本を理解するーパートⅡ 3月15日付


原文のニールのブログはこちら:http://www.thealternativevoice.org/


私達の心は、今日、日本の皆さんの元にあります。そして世界中の人々のもとに。なぜなら、ほとんど刻々と移り変わる日本での事態の進捗状況を、今や世界中が見守っており、また直接的、間接的に影響を受けつつあるからです。

あの国の大惨事の状況は、良くなってはいません。むしろ、瞬間瞬間、より悪くなっているようにさえ見えます。金曜日に、この島国をM8.9(訳者注:現在は9.0に修正)の地震が襲って以降、ほとんどノン・ストップで悪いニュースが入り続けており、私達は、今後12時間で、そしてその翌日には、いったんこの悪い知らせがおさまってくれるよう祈ります。

私は、この全世界に影響をもたらしつつある、地球上の物理的出来事について、「神との対話」の視点から理解することができないか、深く考え続けてきました。ここで、私の考察を述べたいと思います。が、これを記録することが重要だから、とか、他の人の見解よりも価値があるから、という理由ではなく、これまで、9.11やカトリーナ、インドネシアの津波、ハイチ、その他の恐ろしい惨事について、多くの人が「この出来事と、『神との対話』のメッセージは、どう符合するのか」と私に尋ねてきたからです。

これから数日間の間、この問いかけに対する私の応えを何回かに分けて載せていくことをお許し願います。

なぜなら、
(1)この後の時間経過と共に、今後の更なる事態の推移を見ていきたいということ (2)もし一つの記事で、とりとめなく今の私の考えを全て書くと、このブログはとてつもなく長くなってしまうからです。

まず、日本の大災害について、もっとも重要な側面からお話したいと思います:今もどんどん増え続けている死亡者の数の多さです。最初の段階の何百という数字が、のちに2000人近くになり、その後さらに増えて現在、少なくとも10,000人が命を落としたとされるまでを見てきて、私は、数年前、「神との対話」シリーズの「HOME WITH GOD(訳者注:日本語訳・「神に帰る」サンマーク出版)」の中で、死と死ぬことについて私にもたらされた内容について、深く考え始めました。

この対話の中で、神は、どんな人間も、本人の選択した時と死に方以外で死ぬことはない、と言われました。まさに、もし「神との対話」のメッセージが正しいのなら、私達が(本来)誰で、何者なのか、を思えば、私達の意思に沿っていないものは何も起きない、起き得ない、ということになります。

私達は誰で、何者なのかとは、有名な「神との対話」の教えでは、神である、ということです。私達は、「神との対話」によれば、神性の一部であり個別の表現なのです。この真実を前提とすれば、あらゆる出来事は、私達のために起きるのであり、それはすなわち、人類の進化へと、そして、より壮大な、更に壮大な「Life=命、人生」そのものの表現へと繋がっているのです。ちょうど宇宙において、すべての星団が、ブラックホールの中へと堕ちていくように、また太陽という太陽が、すべて燃え尽きてしまうと、周囲を巡っていた惑星は氷のように冷たい暗黒の中に散らばっていくように、Life=命もまた、命自身が継続していくための燃料を用意するのです。何も、どんなものも、死ぬということはないのです。ただ、生命としての形が変わるだけなのです。

私は、この、「ただ」という言葉を、深くて繊細な意識を持って使っています。人間が、肉体という形から、肉体を持たない形へと変化するということは、残された者たちにとっては、悲しむべき出来事として経験されるということですから。私達の住む文化において、生命を失う、ということほど大きな喪失はありません。それでいて、死にゆく者にとっては、まったく喪失、あるいは生命や意識の終わりとしては体験されていないのです。むしろ、より大きな意識と体験への移行という風に体験されます。「神との対話」では、そのように告げています。もしもこれが真実ならば、私はそうだと信じていますが、旅立っていった人達の死を悼む必要はなくなります。何故なら、彼らはこの地上で知っていたのよりずっと大きな歓びの場所に移っていったということだからです。

しかしながら、もしこれがそうだったとしても、思慮深い人はこんな疑問を持つことになります:
「じゃ、そもそも、なぜわざわざ生きたりするんだ?今すぐに、自分で自分の命を終わらせて、より高くてより歓び溢れる場所に向かって卒業してしまえばいいじゃないか」

それは完ぺきに理にかなった、論理的な疑問だと思います。答えはこうです。Life(命)が、肉体を持って(何度も何度も)生きることには、理由があうのです。どんなに喜びに満ちた場所だったとしても、肉体なしに、目に見えない領域では成し遂げることができない目的があるのです。比喩を使うとしたら、仕事に行くようなものに例えられるかと思います。休暇中の方が、ずっと素敵で喜びに満ちているけれど、仕事でなければ成し遂げられないものは、休暇では成し遂げられない。これはとても単純にしてしまった例ですが、言いたいことはわかって頂けるのではないかと思います。肉体を持ったLife=命として、存在する理由があるのです。私達は、純粋なスピリチュアル/霊的領域では成し得ない何かを、ここで行っているのです。だからこそ、私達はやがてまたここに戻ってくるのです---通常は、長くて素敵で楽しい喜びに満ちた休息を取った後で。

それでいて、「神との対話」はこんな風にも告げています。この肉体レベルでの生命も、霊的領域と同じくらい喜びに満ちていることが可能なのだと。そして、自分達が本当は何者なのかを知っていて、それを表現することができるような、感覚の優れた生命体が住む、もっと進化した文明では、実際にそうなのです。これは、今はまだ地球では起きてはいませんが、人類はそこに向かって進化しつつあります。

ですから、日本の震災や津波で、現在の肉体上の生命を終えた人々のことも、愛する者を失って残された人々の深い悲しみを理解し、共に悲しみます。でも、私達は、このLife=命そのもののプロセスを創った神が、命は決して終わることがないようにして下さったことについて、あるいはどんな魂も本質も、それ自身の意思に反して形を変えることはない、ということについて、歓び、感謝をしたいと思います。シンプルに、直接的な言い方をすれば、この数日間で亡くなった方達は、意識外のレベルにおいて、自分達でそれを選択した、ということなのです。
それが、信じがたいことである、ということもわかっています。そしてもちろん、私も、愛する家族を失うという、深い悲しみを体験をしているまさにその瞬間に、その人達にこのことを告げたりはしません。もしも、肉体を離れた魂の意思に反することは起きていない、ということを悲しんでいる人に告げることが助けになると感じた場合は別として。

これは、まだ、たくさんの疑問に答えてはいません。今まで、私は多くの悲しんでいる人達に、「つまり、私の妻(夫、母親、父親、子供、etc.)は、私を置いて逝くことを選んだ、というのですか?何を言ってるんですか?私と一緒にいて幸せではなかったというんですか?」

このような点については、マインド(頭)で理解しようとしないことが大切だと思います。これらの疑問を見る時には、魂のレベルから見ようとすることが大事なのです。次のエントリーで、これについて、もっと探究していこうと思います。今は、もう一度、(恐らくここ数日、皆さんが何度もそうしているように)皆で一緒に、私達の光と、愛と、癒しのエネルギーを日本で大変な苦痛と喪失に苦しんでいる人々に送りましょう。同時に、リビアや、バーレーンや、世界中のあらゆる場所で、肉体上の生命が、突然、予期せぬ惨事(生き残った者達にとって)として終わってしまった人々に向けても送りましょう。神が、残された人々に平和と痛みからの解放を与えて下さいますように。

そして、これを読んでいる皆さん、全員に、神の祝福がありますように。これから数日間にわたって、まだ完了していない、私達自身の特別な旅について、ここで深く探究し続け、説明しながら、一緒に前に進んでいきましょう。

With love, Neale.
愛と共に ニール


ニールのブログ:http://www.thealternativevoice.org/ (転記・転載される場合は、この英文のブログのURLと一緒にお願いします)


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