「自分壊し」
以前、お世話になった、会津の整体の先生が
標語のように、繰り返しおっしゃっていた言葉:
「自分磨きは、自分壊し」。
(【追記】注:脳内の習慣で、「自分探し」と読んでしまう人がいるようですが、
聞きなれないとは思いますが、「自分壊し=こわし」です。
最初、「自分怖し」と変換されるところが、なんとも意味深ですが。)
「自分らしくある」とは、「今までの自分が思う自分像」に
とどまろうとすることではない。
意識をしていないと、いつのまにか
自分が定義する、「自分らしさ」の枠の中に
自分を収めようとしがちだ。
実は、もっとも自分を制限するものは、
自分が自分に下す、「自分とはこうだ」という判断であり、枠なのだ。
だから、ちょっとした「バンジージャンプ」(=自己の成長のために
ちょっと恐れや抵抗を感じるものに敢えて挑む)が
時折あると、そのたびに、「自分」という枠が広がったり、
新しいバージョンになって、
OKでなかったことがOKになるにつれて、
イノチは、より一層、生き生き輝き始めるのだろう。
私達は、「個」という体験をしに、【ココ=個々】に来ている。
だから、「自分磨きは、自分壊し」。
時々、思い出しては かみしめる。
でも、常に「挑戦していなくてはならない」という自分像もまた、
いつのまにか、「自分とはこうである」という、決めつけであり
制限枠になりえることを、忘れてはいけない。
いつも挑戦して、勝負して、頑張って、結果を出そう、と
挑み続けてきたのであれば、
それを、勇気をもって辞めてみるのもまた、
「自分壊し」だろう。
だから、人生は、自分が起こす変化に、常に満ちあふれているのだ。
「あるがままの受容」と、「自分壊し」。
変化を起こそうと力まなくても、焦らなくても、
あるがままに居続ければ、きっと、自然な流れで、
生命の在り方として、それを壊して刷新したくなる時がやってくる。
だから、私達は、常にクリエイティブ。
私達が、真に繰り返す営みは、変化、という名前。
変化は、進化。
進化は、真我へ続く道。
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