~ 天空の抱擁 ~ Celestial Embrace

人は誰でも心のあるがままで天に抱擁されている…
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「対話」という場の力

震災から1年というタイミングで、
昨日は、友人が主催している、「てつがくカフェ@福島」に
参加してきました。
今、あえて福島で「哲学を」、という、
とても、新鮮で有意義な福島での時間でした。

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実は私自身、大学に入る前、一度ならず、哲学科にしようか
かなり迷った経緯があるのですが、
「哲学」と、「対話」というキーワードに結構、縁があります。

一番最初に直接、エネルギーヒーリングを習った
マイケル・ママス博士は、非常に哲学的な人で、
ヒーリングの技術というよりも、己とは何か、ということに
ついて、「対話」形式の授業を重んじていた人でした。

彼の、「宇宙は、意識が、意識自身を意識することで始まった。」
「つまり、宇宙は、Who Am I?」という『?』から始まった」
という講義はとてもわかりやすく、
今でも私の感覚に、深くしみこんでいます。

あ、話がそれた。


とにかく、その後出会った恩師、
ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の著書、「神との対話」や、
ファシリテータートレーニングでやった、
「ハートの対話・ハート・サークル」も、
シャーマニックヒーリングでの、
「ハイヤーセルフとの対話」や、「身体との対話」、
インナーチャイルドセラピーでの、「内なる子供との対話」、
また、大好きな(最近参加できてませんが)、
カール・ロジャースの非構成的エンカウンターグループも、
対話グループの1種、と言えると思いますし、
なんというのか、こうして見て見ると、
やってきたことほとんどに「対話」が入っている(笑)

対話とは何か、と言い出すと、
とてつもなく長くなるのでやめますが、
上記のすべての「対話法」の鍵は、相手が誰であれ、何であれ
(たとえ「神」でも)、自分自身と「対等」であること、
そして、一方的に話すのでなく、相手の話を「聞く」ということだと
思います。

大事なことを書き忘れたので追記:
そして、対話には、普通、操作性がない。つまり、
話しの行きつく先やゴール、結論があらかじめ決められておらず
多くの場合、結果よりプロセス重視。
その場で何が起こるかの、流れを重視する。流れを信頼し
予測してないハプニングに対して受容的。



今回、対話の場である哲学カフェに参加して、
この、年齢や職業、立場や関係性などは関係なく、
参加者は「対等である」、ということと、
相手の話を最後まで聞く、ということなど、
日頃の自分の活動で大事にしていることとの共通項が多かったのも
とても嬉しい発見でした。

が、勿論、それより何より。

その、大事にしてきた「対話」が、
縁のある大好きな福島で、福島の人達と、
「対等」に、自由に話せる場として、
しかも、「311で何が変わったのか」というテーマで
行なえたということが、貴重な体験となりました。

また、福島だけでなく、私のような関東や関西など、
色々なところから多くの方が出席していました。
そんな中で、セラピストとクライアントとか教師と生徒、
大人と子供、「被災した地」とそうでないところとか、
被災した人とボランティアなど支援する側、などの
立場に制約されない、また、「放射能」など話題の制約もない、
純粋に、熱い対話の場でした。

特に、私自身は、普段は、どうしても
「目に見えないものに理解のある者同士」とか
「思考ではなく、感情や感覚重視」のシェアリング、
というスタイルが多いので、
ものすごく久しぶりで新鮮だったのが、
「考え」を話す場であったことでした。

そのままだとどうしても、私自身は、「スピリチュアル」に
行きがちになってしまう傾向はありますが、
意外と、こうして普通に対話をするのも
新鮮であるのと同時に、普段の状態と
それほど変わらないな、というのも新鮮でした。

そして、そこに参加していた様々な年齢の方達の中でも、
若い人達の積極的な発言が大変印象に残りました。

中でも、やはりそこにも、「リトル・ブッダ」がいましたよ~!!
一人でやってきたという13歳の男子参加者の、
臆することない積極性や冷静な智慧溢れる、大人びた話し方には、
心の中で、思わず手を合わせたほどでした。

そして勿論、今、福島に住んでいるということが
どういうことなのか、
あるいは、福島に住んでいないということはどういうことなのか
この1年で何が変わったのか変わらなかったのか、など
実際に福島で話ができたことが、たいへん貴重でした。

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また、放射能関連の話、復興に向けての具体的な話などは、
大変に重要で繊細な話でありながら、どうしたらいいのか、と
話していても、正解も出口もない具体論、感情論になって
しまって収集がつかない場合も多いと思うのですが、
あえて、「考えていること」を交換する場の大切さと
それが持っている、今後の可能性の力を感じました。

このような形で、おだやかに、でも熱く、自由に
語る場である哲学カフェのようなスタイルで
意見交換や対話が、市民レベルでカジュアルに
あちこちで出来ていけば、夢のようなことでなく、
今こそ、そのようなプロセスで
実際に、たとえばどのような人物を政治家に選ぶかといった
意識を磨く場としても、対立を乗り越えて必要な変化を
起こしていく場にも繋がるのではないか、と思います。

普段は、色々なテーマで行っているようですが、
今回のようなテーマ、今後も是非、取り上げて頂いて、
色々な人達に参加してほしいなと思います。

「参加しても、必ずしも発言しなくていい、ただ
聞きに来ただけでもお茶を飲みに来ただけでもいい」
「ファシリテーターが発言者を指名したりすることはない。」

など、普段の私の活動と共通のこのポイントも、
「参加しやすい」「発言しても安心、しなくても安心」な場所に
なっている特徴だと思います。

311前日の、「あれから1年」というタイミングで
参加できて、本当によかったです。

ただ、あとから打ち上げの席で聞いたら、
ファシリテーターはへとへとなのだ、とか。
世話人の皆様、ファシリテーターの皆様、
お疲れさまでした。ありがとうございました。

話し合われた内容など、こちらで詳しく報告されています。

→ てつがくカフェ@福島特別編報告
→ てつがくカフェ@福島

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